東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
ここからは大田区の消えた高校である。
最初は都立雪谷高等学校糀谷分校(定時制)である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立雪谷高等学校糀谷分校(定時制)。

【統合時の所在地】
大田区西糀谷三丁目6番23号(現・糀谷中学校)。

【消滅年】
1967年。

【消滅事由】
不詳。

【統合後の後継校】
不詳。

【前身学校等】→下で訂正。
不詳 東京都立雪谷高等学校分校定時制設立(大森西小内?、大森第四小学校の誤植か)。
1954年 東京都立雪谷高等学校分校定時制、大森西小(大森第四小学校の誤植か)から糀谷中学校に移転。
1967年 閉校。

【前身高校】2024.03.03改訂版。
1948年 東京都立雪谷新制高等学校森ケ崎分校(定時制)、大森第四小学校内に設立。
1950年 東京都立雪谷高等学校森ケ崎分校(定時制)に改称。
1954年 東京都立雪谷高等学校分校定時制、大森第四小学校から糀谷中学校に移転。
1967年 閉校。→東京都立羽田高等学校に移行。

【跡地利用】
糀谷中学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
ここからは大田区である。
最初は、都立雪谷高等学校糀谷分校(定時制)である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この一覧に「東京都立雪谷高等学校糀谷分校」という学校が載っていた。
雪谷高校の沿革にも載っていないし、Wikiの同校のサイトにも記述がない。

この一覧のこの学校の参考資料に「大田区立糀谷中学校 学校概要 沿革」という記述があった。
そのページに飛んでみた。

二行の記述があった。

昭和29年9月27日 都立雪谷高校分校定時制、大森西小より移転
昭和42年3月23日 都立雪谷高校糀谷分校閉校

これだけである。

ここから分かることは、以下の通り。
・この定時制高校が、設立時期は不明だが存在していたこと。
・当初の位置は不明だが、ある時期から「大森西小」に間借りしていたこと。
・1954年に、「大森西小」から糀谷中学校に移転していたこと。
・1967年に、廃校となったこと。

まず、「大森西小」を調べてみた。
実は、「大森西小」という小学校は存在しなかった。
似たような名称の学校は「大森第四小学校」、略称は「大森四小」である。
なので、類推ではあるが「大森第四小学校」にこの学校があったと推定した。
この小学校の沿革にはこの定時制高校のことは書かれていなかった。

糀谷中学校の沿革には、先ほどの二行だけ。
雪谷高校のWikiにもこの二行が書かれていた。

後は、傍証。
大森第四小学校も糀谷中学校も、京浜工業地帯の真ん真ん中。
かつては中小零細工場が、びっしりと並んでいた地域である。
この地域に集まっていた中学卒業後の集団就職で東京に働きに来た青少年たちに向けて作られた高校だったのか。

ほとんど吉永小百合の日活映画の世界である。

しかしながら、記述がほぼない。

この学校は、たまたま糀谷中学校の沿革に載せられていたから、廃校一覧に載っていた。
他にも、何の記述もないまま、廃校となった「高校(定時制分校)」も数多いのではなかろうか。

その学校で学んだ生徒の皆さんや先生方、その学校で学びたくても学べなかった人たちのことを思い、この項を書くことにする。

この学校のあった場所は、京浜急行空港線大鳥居駅から北北西に約400m。
その前にあったと類推する大森四小は、京浜急行本線梅屋敷駅から東へ1.3Km。
東京の表玄関ではないバックヤードの方である。

【蛇足】
中等教育は、トップエリートを選抜して、秀才を育てることが重要な点のように書かれている。
しかしながら、社会全体を考えるに、幅広い裾野部分の技術、能力、学識、知識、教養の底上げが、実は最も重要な点なのだと痛感してきた。

しかし、その記述は、わずか二行。
あるだけいい方。

何だか、アニメ「サスケ」のオープニングテーマ「だが人よ 名を問うなかれ」という一文を思い出してしまったのである。
府立一中、市立一中とその後継校は、いくらでも思い出される。
が、何も書かれることのない学校があり、その学校にも卒業生や教えた先生方がいたことをこの項を書いて痛感しているのである。

2024.03.03追加:
後日の追加である。

追加調査の結果興味深いことが分かった。

まず、創立年が1948年。
やはり、大森第四小学校に、雪谷高校森ケ崎分校(定時制)として、設立されていた。
その後、改称、糀谷中学校移転を経て、1967年に閉校となる。
そして、この学校、この年に設立された羽田高等学校の定時制に移管されたようなのである。

つまり、この分校、羽田高等学校の前身だったのである。

まずは、追加報告である。