東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
ここからは目黒区の消えた高校である。
次は東京都立大学附属高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
東京都立芸術高等学校。

【統合時の所在地】
目黒区大橋二丁目18番58号(都立駒場高等学校隣、跡地利用未定)。

【消滅年】
2012年。

【消滅事由】
東京都立総合芸術高等学校が設立され、閉校。

【統合後の後継校】
東京都立総合芸術高等学校に、芸術高等学校の事務を承継されたとのこと。

【前身学校等】
1950年 東京都立駒場高等学校に芸術科設置(美術科・音楽科定員各20名)
1971年 美術科・音楽科それぞれ1学級(40名)ずつとなる
1972年 東京都立駒場高等学校より芸術科が独立し、東京都立芸術高等学校として発足。美術科・音楽科を設置。
2012年 閉校。


【跡地利用】
未定。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
目黒区の続きである。
次は、東京都立芸術高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校は、Wikiの後継校の項や公式サイトには、わずかながら書かれている。
また、Wiki等のこの学校のサイトも最小する。

設立は、1950年。
陸軍輜重兵第一連隊の跡地に六本木から引っ越してきて、第三高等女学校から駒場高等学校に改称した高校が母体。
この高校に、芸術科設置(美術科・音楽科定員各20名)が設置されたのだそうだ。
その後、1971年に美術科・音楽科それぞれ1学級(40名)ずつとなったとのこと。
翌1972年に、駒場高校芸術家が独立して、都立芸術高等学校となったと書かれている。

Wikiの駒場高校の項には「閉校した東京都立芸術高等学校との関係」と言う以下の記述がある。
---以下引用開始---
本校の芸術科(美術科・音楽科)が1972年(昭和47年)に分離・独立してできた東京都立芸術高等学校は、2012年3月31日に閉校し、その事務は東京都立総合芸術高等学校に承継された。
本来であれば、その事務や沿革資料等は母体校であった本校に承継保存されるべきところであるが、1972年の芸術科の独立時に本校との関係が険悪なものとなり、都立芸術高の同窓会や後援会が閉校でなく単なる改称であると振る舞ったことから、本校には承継されるものが全く無かった。
そもそも、関係が険悪であったことが、都立芸術高校が閉校に追い込まれることになった原因の一つでもある。
このような経緯から、東京都教育委員会は、東京都立芸術高等学校を、東京都立総合芸術高等学校への校名変更扱いとせず40周年をもって閉校とし、改編・舞台表現科(演劇専攻・舞踊専攻)新設の上、新規に東京都立総合芸術高等学校(新宿区富久町)を開校とした。
---以上引用終わり---

ちょっと一方的な記述にして、詳細について全くわからない内容である。
まあ、類推するに、あまり隣同士の元は同じ学校だったのに、あんまり仲が良くなかったのかなぁ、という感じがするのである。

そして、この学校も、2000年代の都立高校「改革」により、閉校となる。
いや、あんまり関係ないのかも知れない。
でも、この学校は閉校となり、新宿区富久町にできた都立総合芸術高等学校に、改編され新設されたようである。
詳細は委細不明。
今後の研究課題である。

場所は、渋谷から淡島通りを進むバスに乗って行ったところの途中。
戦前までの陸軍騎兵連隊や輜重兵連隊のあった場所に、いくつかの高校や中学が移転してきた中の一つ。

校舎は、駒場高校の敷地の端っこに建っていた状態のようだ。
体育の際のグランドは、駒場高校の施設を借りたのか。

隣接している故のさまざまな課題があったのやもしれぬ。
今は、富久町に移り、そんな過去の遺恨とは、切離れての存在になって行くのだろう。

【蛇足】
このような学校があったことは、今回初めて知ったのである。
不勉強だったのである。