東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
江東区の消えた高校の続きである。
次は都立化学工業高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立化学工業高等学校。

【統合時の所在地】
江東区江東区千石三丁目2-11(現・都立大江戸高等学校)。

【消滅年】
2001年。

【消滅事由】
江東工業高校と統合。

【統合後の後継校】
東京都立科学技術高等学校。

【前身学校等】
1920年 東京府立化学工業学校として設立。
1920年 千田町に校舎を竣工。
1943年 東京都制施行に伴い、東京都立化学工業学校と改称。
1948年 学制改革により、東京都立化学新制工業高等学校と改称(類推)。
1950年 東京都立化学工業高等学校に改称(類推)。
2010年3月 閉校。

【跡地利用】
都立科学技術高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
江東区の続きである。
次は、都立化学工業高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校も、Wikiの後継校の科学技術高等学校の項や後継校の正式サイトには、ほぼ書かれていない。
その代わり、Wikiの化学工業高校の項その他を参照させていただいた。

それから、ネット上を検索していたら「技術教育学の探究 第21号2020年11月 東京都に設置されていた工業学校の概要とその資料」という山田宏先生の論文を見ることができた。
都立の技術系高等学校の前身となる戦前の工業学校ほぼ全校を網羅した資料である。
大変に有り難い資料なので、参照させて頂くことにする。
(この論文の内容を参照させていただきました。ありがとうございます。)

また、他の都立高校の共通の歴史を参考にする。
そして、ある程度の類推が入ることを許されたい。

設立が1920年。
大正9年である。
関東大震災の4年前。
漱石先生がなくなって三年、鴎外先生はご存命の時期である。
化学はまだ黎明期の頃である。
千田町に校舎を作るが、関東大震災で焼失。
その後、一度火事に会い、その後、1945年の東京大空襲でも焼失。
そのたびに、近くの小学校等に仮寓するが、
戦後の1947年に、元の千田町に校舎を建てたのだそうだ。

実は、その後の歴史は、記載がないので他の都立高校の歴史から類推である。

1943年に、都政施行により「東京都立化学工業学校」に改称(類推)。
1948年に新制高校として「都立化学新制工業高等学校」に改称(これも類推)。
1950年に「東京都立化学工業高等学校」に改称(これも類推)。
このあたりは、都立高校の基本的なパターンを取ったと想定される。

この学校も、2000年代の都立高校「改革」により、閉校となる。
2010年に、同じ区内の都立江東工業高等学校と統合し、都立科学技術高等学校になったのだそうだ。
「将来の科学者・技術者を育成することを目的として創立され、全国に先駆けて科学技術科が設置された」のだそうだ。
ちなみに、学校のサイトには、前身校として、これらの学校名は書かれていない。

そして、化学工業高校は、2001年に閉校となっている。

学校のあった場所には、現在、都立大江戸高等学校が入っている。

元の場所は、千石。
東陽町駅からは、北に1Km、住吉駅からは1.1Km。
どちらからも、同じくらい遠い。
まあ、都立高校のある場所は、たいてい交通不便な場所にあるのである。
新宿線も東西線もない頃は、錦糸町駅から南に2Km歩いたことになるようだ。

化学技術の基礎を学んだ人材を輩出した高校も、形が変わって、今度は科学技術の基礎を学んだ人材を輩出する学校に変わって行ったようである。