東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
ここからは台東区の消えた高校である。
まずは都立上野忍岡高等学校である。
(統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。)

【学校名】
都立上野忍岡高等学校。

【統合時の所在地】
台東区北上野2-24。

【消滅年】
2008年。

【消滅事由】
他高に統合のため。

【統合後の後継校】
都立忍岡高等学校。

【前身学校等】
以下の歴史をたどっている(wiki、公式ホームページより。2024.03.17訂正)。

1928年 私立帝都家政女学校として東京市立忍岡高等女学校内に設立。
1937年 東京市立忍岡女子商業学校に改称。
1943年 都制実施に伴い、東京市立忍岡女子商業学校と改称。
1946年 都立下谷城商業学校を合併。
1948年 学制改革により、東京都立忍岡新制女子商業高等学校と改称。
1950年 東京都立上野忍岡高等学校と改称。
2008年 閉校。

【跡地利用】
未定。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
台東区の都立高校である。
まずは、都立上野忍岡高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

実はこの学校についても、資料が少ない。
統合された先の学校のwiki等を参考にして進める。

簡単に歴史に触れる。

1929年以降(年度不明)に、東京市立忍岡高等女学校内に帝都家政女学校として設立されている。
この年に、この学校がこの名称に変わっており、設立時期はそれ以降となる。

たぶん、もともとは技芸系女学校の中で、家政を学ぶ部門が分立してできた学校だったのではないかと推定する。

その後、こちらの学校は、女子商業学校へと進化し、元の学校は高等女学校として存在し続ける。
ほぼ「高等女学校」と「女子商業学校」という姉妹校のような存在だったと考えられるのである。
(京橋あたりと同じかな。)

そして、1943年に府立から都立へ、1948年の学制改革で新制高校へ改編。
1950年に廃校時の後面に変わったと想定されるのである。

その後、この学校にも、2000年代の都立高校改革の波が来る。
昭和の初めに分岐した都立忍岡高校と統合されることとなる。
この二校の場合、忍岡高校の方が存続校となり、上野忍岡高校の方が言葉は悪いが吸収合併されたことになるのか。

上野忍岡高校は、2008年に統合され、閉校となったのである。

場所は、北上野。
国道4号線と言問通りが交差する入谷交差点の南東側約120mほどのところ。
南側から上ってきた清洲橋通りが国道4号線と接続する場所のすぐ東側である。

跡地は校舎も何もかも取り壊されて、更地である。
分岐元にして統合先である忍岡高校はちょうど真南2Kmほどのところにある。

浅草や下谷の女子中等教育を長く下支えしてきた学校が再び統合されて、地元のために活躍することを心から願うのである。

【蛇足】
今回都立高等学校を調べてみて、学校ごとに地域の特性や歴史的背景を背負っていることを痛感した。
しかしながら、この学校も資料がとても少なかった。
創立年が分からなかったのである。
この先の継続調査課題である。