東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
新宿区の消えた高校の続きである。
次は都立赤城台高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立赤城台高等学校。

【統合時の所在地】
新宿区山吹町81(現・都立山吹高等学校)。
目黒区駒場2-19-59(現・都立国際高等学校)。

【消滅年】
1991年。

【消滅事由】
廃校。

【統合後の後継校】
-。

【前身学校等】
以下の歴史をたどっている(wiki、東京都立工業高等学校長OB会会報等より)。

1942年 東京府立第二十高等女学校として中野区富士見町(府立第五高女内)に創立。
1943年 東京都制施行に伴い、東京都立第二十高等女学校と改称。
1948年 学制改革により、東京都立赤城台新制高等学校と改称。
1950年 東京都立赤城台高等学校に改称。山吹町校舎に移転。
1989年 駒場に移転(最後の2年間のみ)。
1991年 廃校。

【跡地利用】
都立山吹高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
新宿区の続きである。
次は、都立赤城台高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校は、後継校や統合先はなく、19991年に「廃校」と言う扱いになっている。

簡単に歴史に触れる。

1942年の府立中学、高女の拡大期に設立。
「第二十高等女学校」という名称である。
さすがに「二十」を超えると機械的に聞こえてしまう。
1943年の都政施行で「都立第二十高等女学校」に改称。
1948年の学制改革で「東京都立赤城台新制高等学校」になる。
学内での公募により、この名になったようだ。
1950年に山吹町に移転となっている。

この後、40年間は変動なし。

そして、この学校は、2000年代の都立高校「改革」の10年ほど前の1991年に廃校となる。

「都立国際高等学校」と言う新しい学校が創設されることになり、その敷地である目黒区駒場に廃校までの2年間移転。
ただ学校としての「承継」は、公式的にはないのだそうだ。
公式的には「都立国際高等学校」が「旧東京都立赤城台高等学校の証明書も発行」していると、学校のサイトには書かれているのである。

元の場所は、早稲田の東の方。
早稲田大学正門前から出ている早大通りと環状三号線の交差する早稲田鶴巻東交差点の東南側。
済松寺の北側、大日本印刷榎工場の西側である。

いろいろな「大人の事情」で、継承はされなかったが、この学校がこの地にあったことは、きちんと記憶しておきたいのである。