東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
港区の高校の続き。
次は都立赤坂高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立赤坂高等学校。

【統合時の所在地】
港区南青山二丁目33番77号(現・都立青山特別支援学校)。

【消滅年】
2009年。

【消滅事由】
市ヶ谷商業高校と統合。

【統合後の後継校】
東京都立大田桜台高等学校。

【前身学校等】
前身となる学校は、都立赤坂女子商業学校、都立渋谷商業学校女子部、都立芝女子商業学校の三校である。
それぞれ以下の歴史をたどっている(wiki等より)。

都立赤坂女子商業学校
1933年 東京市赤坂商業学校として設立。
1943年 都制実施により、東京都立赤坂商業学校と改称。
1944年 東京都立赤坂女子商業学校と改称(詳細確認の必要あり)。

都立渋谷商業学校女子部
1934年 市立渋谷商業学校設立。
1943年 都制実施により、都立渋谷商業学校となる。
1944年 都立渋谷工業学校に転換、都立渋谷商業学校女子部が分離(類推)。

都立芝女子商業学校
詳細不詳
1943年 都制実施により、都立芝女子商業学校となる。

この後、以下のように朝赤女子商業学校に2つの学校が統合される。
1944年 都立渋谷商業学校女子部が統合。
1946年 都立芝女子商業学校が統合。

その後、以下の歴史をたどる。
1948年 学制改革により、東京都立赤坂女子新制高等学校となる。普通科・商業科設置。
1950年 東京都立赤坂高等学校と改称。
1991年 普通科の募集停止。
2009年3月 閉校。

【跡地利用】
都立青山特別支援学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
港区の続きである。
今度は、都立赤坂高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校は、Wikiの後継校の大田桜台高等学校の項や後継校の正式サイトには、一言も書かれていない。
その代わり、Wikiの赤坂高校の項を参照させていただいた。
また、他の都立高校の共通の歴史を参考にする。

この学校、都立赤坂女子商業学校を統合先として、1944年に都立渋谷商業学校女子部、1946年に都立芝女子商業学校に統合してできた学校である。

港工業高校が、地域の男子工業学校系を統合してできたように、この赤坂高等学校は、地域の女子商業学校系を統合した学校と想定される。

しかし、資料は少ない。
ある程度の類推が入ることを許されたい。

前提として、類推の根拠となることが、1944年に閣議決定された商業学校の工業学校化である。
詳細は不明であるが、この年に商業学校は工業学校に転換するか、あるいは女子商業学校になるように決められたそうだ。

母体となる赤坂商業学校は、1933年に設立。
1943年に他の府立、市立の学校と同様に、都立の学校となっている。
そして、1944年に、赤坂女子商業学校となっている。

渋谷商業学校女子部とは1944年まで渋谷商業学校として存立し、その年に渋谷工業学校に転換した学校の女子部門と類推される。

そして、芝女子商業学校とは詳細不明。
芝商業学校が芝女子商業学校に転換したのか。
芝商業学校の項にはそれらの記載がないため委細不明である。

赤坂女子商業学校は、1944年に渋谷商業学校女子部を1946年に芝女子商業学校を統合している。

後は、都立高校の一般的な歴史を参照する。
1948年に新制高校として都立赤坂高等学校に改編。
1950年に東京都立赤坂高等学校に改称している。
このあたりは、都立高校の基本的なパターンを取ったと想定される。

この高校はちょっと変わっていて、普通科と商業科の両方が入っている学校。
私立なら聞いたことはあるが、都立では寡聞にして知らなかったのである。
そして、1991年に普通科の募集を停止。

この学校も、2000年代の都立高校「改革」により、閉校となる。
2009年に、都立市ヶ谷商業高等学校と統合。
進学型専門学校(進学型商業高校)の東京都立大田桜台高等学校が設置されたようだ。
そして、2009年に閉校となっている。

元の場所は、港区の青山墓地の北側である。
三方を墓地、一方をお寺に囲まれた学校だったようだ。
今、この場所には、都立青山特別支援学校が建っている。

公式サイトやWiKiの後継校のサイトには、この学校の記述はほぼない。

港区を離れ、大森馬込の地での新しい展開を心から願っているのである。

【蛇足】
戦中戦後の商業学校の歴史は、ちょっと興味深くなってきた。
特に1944年の商業学校の工業高校への転換と、それに伴う女子商業学校の分離統合など、大変にドライティックな改編が行われている。

戦後日本の高度成長を支えることになったこれらの学校の揺籃期をもう少し見ていきたいのである。