BSテレ東の思い出振り返り番組「昭和は輝いていた」。
今日は吉幾三の特集であった。

「俺ら東京さ行ぐだ」のミュージックビデオの中で、吉幾三があの馬鹿馬鹿しい歌を歌っていた。
そして、青森の五所川原あたりの山々や鉄道の風景が映っていた。

この光景、どこかで見たことがある。
思い出した。
太宰治のことを取り上げた番組では、この風景は必ず映されるのである。

その後、吉幾三が、当時、地元青森の人たちからはこの歌が非難囂々であったことを述べていた。

この時、高校時代に習った太宰治の特徴を思い出した。
「自虐」である。

そう、昭和末期の五所川原にテレビもラジオも電話もガスもない訳はないのである。

筆者の祖父の実家である宮城県蔵王町あたりは、東京よりも先に、自動車化され、家庭用ビデオが入っていた。
電話や電気やガスがないというのは、諧謔なのである。

そして、五所川原あたり金木町周辺の伝統「自虐」だったのである。

そう思えば、納得がいく。

武田鉄矢が言っていたけれど、吉幾三はモデルができるほどの格好良い見目形なのである。

太宰先生も、その手の容姿。

ちょっと美形の自虐は、東北人のコンプレックスと自尊心をくすぐることになるのである。

結論。
吉幾三は、太宰治直系の津軽の自虐使いだった。

なお、この結論は筆者の個人的な感想です。
ご意見等ありましたら、コメント欄でお伝えいただけたら幸いです。