東京回想、東京都内の消えた学校である。。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
中央区の高校。
次は都立京橋商業高等学校である。

【学校名】
都立京橋商業高等学校。

【旧所在地】
中央区晴海1-2(現・東京都立大学 晴海キャンパス)。

【消滅年】
1996年。

【消滅事由】
隣接する都立京橋高等学校と統合のため。

【統合後の後継校】
都立晴海総合高等学校。

【前身学校等】
1939年 東京市立京橋実業学校が開校
1943年 東京都立京橋実業学校となる(東京都へ移管)
1948年 東京都立京橋新制高等学校となる(学制改革により)
1950年 東京都立京橋商業高等学校と改称

【コメント】
東京回想・消えた学校。
中央区の続きである。
中央区でもいくつかの都立高校が、統合・閉校等で消えている。
次は、都立京橋商業高等学校である。

都立京橋高等学校と統合して消滅した高校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

場所は、中央区。
今も都立大学晴海キャンパスがある場所が元の校舎のあった場所である。
(このブログ、校舎のあった場所を中心に確認していこうと考えている。)

実は、前回書いた京橋高等学校と、ほとんど双生児と言っていいくらいの学校である。

歴史はこちらの方が少し新しい。
1939年、つまり昭和14年に、前身となる東京市立京橋実業学校が開校している。
こちらは、男子校だったようだ。

1943年に、東京府と東京市が合併し、東京都になったので、それ以前の市立から都立に名称変更。
1948年に、学制改革により、都立新制京橋高等学校になっている。

この学校も統合のため、統合後の沿革には、詳細がほとんど書かれていない。

ところで、興味深いことがある。
もう一方の都立京橋女子家政高等学校は、学制改革で1949年に東京都立京橋高等学校に名称変更となっている。
そして、都立新制京橋高等学校は、1950年に都立京橋商業高等学校に名称変更をしている。

字面だけ見ていると、1949年から1950年までの1年弱の間、「都立新制京橋高等学校」と「都立京橋高等学校」という二つの学校が存在することとなる。

これはどういうことか。
勝手に類推する。
二つの高等学校が、ほぼ同じ名称で存在するとは考えにくい。
ひょっとして、こんな経緯だったのか。
まず、実業高校と女子家政高校を両方とも、実業系の科の存在する普通高校にする。
そして、商業系の科を旧実業高校の方に集約し、普通科を女子家政学校の方に集約。
その後、普通高校、商業高校に分けたのではなかろうか。

そんな想定もできるのである。
実際はどうなのか。
後で調べてみるのである。

で、校地の話。

今の後継校のある場所に、もともとは、この学校は、あったようだ。
戦前の地図にも載っているので、この場所に戦前からあったと考えられる。
資料が全くないので詳細は不明だが、この晴海と豊洲の地は、1940年の東京万国博覧会の予定地として埋め立てられたもの。

とすると、開催中止のゴタゴタ等を含めて、創立以後しばらくは、どこかの学校にしばらく間借りでもしていたのだろうか。

これも後で調べてみるのである。

そして、1963年に隣地に明石町から京橋高校が引っ越してきて、1996年に合併するのである。
まだ戦後のゴタゴタの時期を知っている先生方も残っていただろうから、この二校は仲が良かったのだろうか。
それとも、お互いにバシバシの対立関係にあったのだろうか。

それらは全く類推の域。

でも、隅田川からまた運河を越えた新開地に、いろいろな未来の夢と希望が展開していたことは間違いなさそうである。

そして、1996年に、都立高校の改革の初期段階に、この二つの高校は統合。
晴海総合高等学校に生まれ変わったようである。

【蛇足】
鉄道の未発達な1950-70年代までは、どうやってこの場所まで通学したのか。
やはり、都電と自転車か。

各学校ごとに、さまざまな歴史があるようである。