東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
中央区の高校。
次はちょっと例外。
都立日本橋高等学校である。

【学校名】
都立日本橋高等学校。

【旧所在地】
中央区日本橋箱崎町18(現・東京舞台芸術活動支援センター(水天宮ピット))。

【消滅年】
2009年旧所在地から移転。

【消滅事由】
旧東京都立向島商業高等学校全日制課程跡(東京都墨田区八広1丁目28番21号)に移転したため。

【統合後の後継校】
変更なし。

【前身学校等】
特になし。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
中央区の続きである。
中央区でもいくつかの都立高校が、統合・閉校等で消えている。
次は、ちょっと例外で、都立日本橋高等学校である。
学校が移転したため、消滅した学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

場所は、中央区箱崎町。
首都高速箱崎ジャンクションから170mほど南西側。
今のIBM箱崎ビルのちょっと西側である。

今なら交通至便な場所だが、以前だったら、東西線の茅場町駅から歩くしかなかったか。

さて、この高校は、現在も存続している。
ただし、校地が移転。
墨田区八広1丁目のかつての向島商業高校のあった場所に引越しをしている。
土地の名前を冠した都立高校は、移転しても校名は変えないようだ。
学校としても「日本橋高校」の方が通りがいいのではないか。
「向島高校」「八広高校」「吾嬬町高校」では、ちょっと時代が違う感じがしてしまうのである。
今度は曳舟から明治通りを越えて通学する場所である。

かつての校地は、もともとは箱崎町小学校だった場所。
1944年に、学童疎開で生徒がいなくなって空いているところに、この学校の前身となる府立十七中学校が入ったのだそうだ。
その後、この地に正式に府立十七中の後継である葛飾中学校から分離独立した日本橋中学校がこの地に入ったようだ。

もともとは震災後の復興小学校(公園が併設された鉄筋コンクリート造りの校舎)だった建物である。

高校として使うには、かなり窮屈だったのではなかろうか。
八広への移転は、2009年。
小学校規格の旧敷地から較べて、校舎も校庭も広くなり、学びやすくなったのではなかろうか。

跡地には、復興小学校の校舎を使継続して使っている東京舞台芸術活動支援センター(水天宮ピット)が入っているようだ。

学校は存続しているが、元の場所から消えてしまった事例の一つ。
例外的だが載せたのである。

【蛇足】
この高校、もともとは我が母校である都立葛飾野高校(旧府立十七中)から「分蜂」していった高校である。
(このあたり、本家本元・元祖家元論争があるやもしれぬ。でも、高校の沿革を読むと、葛飾中学があってその中に日本橋中学ができたのだから、都立葛飾野高校が正当な後継である。)
この高校が、隅田川を越えて、南葛飾郡に引っ越してくるのも、ちょっとうなづけるのである。