東京回想、映画の撮影所である。

次は、東映生田スタジオである。

 

【名称】

東映生田スタジオ

 

【別名】

細山スタジオ

 

【所在地】

崎市麻生区多摩美

 

【旧地番】

川崎市多摩区細山

 

【設置場所(元存在していた施設)】

-

 

【運営主体】

東映

 

【関連する人物】

-

 

【設置年月】

1960年代中頃 細山スタジオ設立

1971年 東映賃借

 

【活動停止年月】

1978年 東映撤退

1995年2月 解体

 

 

【廃止理由】

東映大泉撮影所が使えるようになったため。

 

【跡地】

駐車場

 

【簡易な歴史】

東京周辺でだいたい32番目前後に設置された映画の撮影所・東映生田スタジオの話である。

 

ここでもまた、簡単に歴史を語らざるを得ない。

正式な歴史は、由緒正しきサイトを確認されたし。

こちらは概略、おおよそWikiの抜き書きである。

 

1960年代中頃 細山スタジオが地元農家2名によって設立。

 

1971年 東映が細山スタジオを賃貸借。

 「仮面ライダー」の撮影を行う。

 

1978年 「透明ドリちゃん」を最後に東映はスタジオの賃貸契約を解消し撤退。

 

1995年2月 解体。

 

【コメント】

このあたりから、1970年代の話になっていく。

 

もう、「映画の撮影所」という目的だけの撮影所は、事実上造られてはいない。

テレビ映画の撮影所等も、書いていくことにする。

 

この時期に、後世に大きな影響を残していくテレビドラマがたくさん作られる。

 

東映では「仮面ライダー」が有名か。

しかし、この時期、東映大泉では、労使交渉が決裂。

ストが頻発して、撮影所が使えなかったそうな。

 

それゆえ、大泉を離れた川崎の生田の地に、東映はそれ以前から使われていた撮影スタジオを賃貸。

「東映生田スタジオ」として、「仮面ライダー」等、子ども向けのテレビ番組の撮影を始めたのだそうだ。

 

どうやら、この近辺に撮影所が多かったから選定されたようである。

 

と言っても、かなり貧弱な施設。

 

実は、1980年代後半、この施設を見に行ったことがある。

率直な話、あまり流行らなくなった鉄工所みたいな建物で、やたら背が高かった。

 

見に行った時には、中では何やら広告用のアドバルーンを整備していたようであった。

 

ショッカーもこのような場所で、世界征服を考えたのだから、大変だったと思うのである。

 

1970年代であれば、このあたりは、まだまだ原野と造成地だったはず。

この撮影所跡の周辺には、初期のクモ男だのハチ女等が暴れまわった古戦場が広がっているのである。

 

1995年頃に、撮影所は解体され、今は駐車場になっているようだ。

 

この地で、悪の秘密結社は、産声を上げ、今でもこの地上で蠢いているようなのである。