まとめの三番目は、「女子大学の偉大な創始者たち」である。

 

筆者は、明治の時代の女性たちは、「青鞜」の平塚らいてう先生のように、体制と真っ向から戦った女傑たちと、体制の中でその仕組みに則りながら女子教育を普及させていった方たちがいると考えていた。

 

しかし、今回、大学の創始者の話を読んでいき、その考えが間違っていることが付いた。

 

女子教育の創始者になった女性たちは、みな、大女傑ばかりだったのである。

 

女性に医学を学ばせないと決めた官に対し異議申し立てをし、女子医科大学を創設することにした29歳の吉岡弥生先生。

 

女子教育に体育が重要であることを身をもって気づいた二階堂トクヨ先生や藤村トヨ先生。

 

東京美術学校に女性が入れないため、女子美術学校を作った横井玉子先生。

 

夫唱婦随で、女子栄養大学を築いた香川綾先生。

 

その他にも数多くの、一人一人がそれこそ、朝の連ドラのヒロインとして描かれてもいいようなファイターで、クリエイターで、パイオニアで、タフネゴシエーターたちが、この時代にいたのである。

 

日本の女子教育は、このような先達たちによって、築き上げられていたのである。

 

この事実を知るだけでも、大変に勉強になったのである。