都市計画道路編、次は補助14号線である。

 

【ルート】

起点は三田三丁目交差点。

田町駅前から慶応大学に抜ける道を通り、そのまま放射21号線を横断した先の道である。

 

入ってすぐのY字路を左に行き、坂道を登る。

 

坂の途中に普連土学園や三田中学校があり、お寺も続いている。

 

この道は、東京湾沿いに続く高台の尾根道である。

どうやら、古代の東海道は、このルートを通っていたらしい。

 

上総国の国司・菅原孝標の娘もこの道を通ったのだろう。

 

「更級日記」に出てくる竹芝寺は、どうも、この先左側の亀塚公園あたりにあった推定されているようだ。

この公園、拡張の予定もあり、散歩の際に千年前の文学少女の旅姿を想像するのも楽しそうである。

 

次の伊皿子交差点で補助12号線と交差する。

 

その先、右側の荘厳な門は、旧高松宮邸。

さて、宮妃も亡くなられて、この後どうなるのだろうか。

 

この敷地と高輪一丁目アパートを合わせた一帯が、肥後細川家の屋敷跡。

赤穂浪士切腹の地も残されている。

 

左側は海側に降りる坂が幾つかあり、ほとんどが行き止り。

だが、一本は細い道となり、高輪高校の間を抜けて泉岳寺の横に抜けるのである。

 

これも、散歩の楽しみである。

 

その先右側には、かすてらもなかのとらや。

たぶん、「赤坂のとらやさんとは違うんです。」と、お店の人は説明しているのだろう。

 

左側は東海大学の高輪キャンパス。

短期大学は廃止されたようだ。

 

その先が高輪警察署前交差点。

 

左側手前が高輪消防署二本榎出張所。

戦前の消防署の建物がそのまま残っているところである。

 

本郷の消防署も、同じ時期の建物が残って行けれど、今は消滅。

 

左側の先には高輪警察署。

敷地が狭いので、駐車スペースは少なそうだ。

 

右側は……、右側は、見たくないなぁ。

国道1号線までの敷地が地上げされて、妖怪・再開発ぬりかべビルがズドンと建っている。

周りの日当たりがなぞ全く考慮できない種類の人たちが作ったビルなのだろう。

 

上を見ないで通り過ぎる。

 

そうそう、そういえば長谷川伸先生が二本榎に住んでいたそうだが、どのあたりに住んでいたのだろうか。

 

この先、お寺や商店、マンションがしばらく続く。

それが切れると、左側に味の素が運営する食と暮らしの小さな博物館がある。

研修センターの一画なのかな。

 

この敷地の隣に、環状4号線が通る予定になっている。

 

その先左側が、衆議院議員宿舎。

高輪三丁目交差点の丁字路は、右折レーンがないので、何時も自動車が滞っている。

 

その先からがプリンスホテルの敷地である。

右側が東京高輪病院。

 

このあたり、広い敷地を使っている施設が多いが、これらはすべて江戸時代の大名屋敷の跡。

建物の建替敷地の堀返しには、港区教育委員会による調査が必要である。

 

突き当りを左に曲がり、坂道を降りる。

左側は高輪プリンスホテルで、右側奥は品川プリンスホテルである。

 

終戦後に、皇籍離脱し、生活に困った皇族を大よそだまくらかして、巻き上げて作られたホテル群である。

 

坂を降り切ると、品川駅前交差点で、放射19号線(第一京浜)に合流して終点である。

 

【コメント】

千年以上の歴史もあり、歴史や趣のある施設や史跡の多いルートであり、東京散歩にはちょうど向くところである。