永代通りと明治通りの交差点は、ついこの間まで永代通りがここで行き止まりになる丁字路だった。

今は永代通りも東側に伸び、荒川を渡っている。


この交差点の名称が「日曹橋」である。

「日曹橋」とは、交差点のすぐ南側の洲崎川にかかっていた橋の名称。


洲崎川は昭和50年代初め頃に埋め立てられ、日曹橋自体も昭和58年に撤去され、交差点に名のみ残っている。


さて、もっと遡り、日曹橋の「日曹」とは何か確認してみた。


どうやら、「日本曹達」(にほんソーダ)という会社の工場が、この地にあったそうなのだ。


場所は今の南砂三丁目あたり。

かなり広い面積を占めていたらしい。


で、いつごろまであったのか、ネットで調べてみたのだが、ちょっと分からず。


昭和28年から48年までこの近所で働いていた父に聞いてみた。

日本曹達の工場がこの地にあり、新潟の方に移転したことは知っていた。


しかし、移転したのが、戦前か戦後かは、不明であるとのこと。


当たり前な事実ほど、忘れられやすいことなのだろう。


結局、「日曹橋」という名のみが、この地の交差点に残ったようだ。

そうそう、もう一つ残っている。


都営南砂三丁目アパートの中に、日曹橋公園という公園がある。


公園の完成は、昭和36年。


以前は、永代通りの延長上の道路予定地部分のみ空けられており、空地の南北に低層の都営住宅が建てられていた。

その頃からこの公園はあったようだ。


その後、東夷住宅は高層住宅に建て替え。

道路予定地だった空地には道路は通らず、永代通りは右にカーブして造られた。


この日曹橋公園も、完成時とは別の場所に再設置されたようだ。


「日本曹達」は、たぶん70年以上前にこの地を去ったが、交差点と公園にその名をとどめたようだ。



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