旅の途中で何も書かなくなってしまったことをまず詫びなければいけません。いずれにしても、自分の旅は11月中旬南アフリカ、ケープタウンで終わりました。これから回想をゆっくりしたいけど、フィリピンでの留学をかけた英語との闘いが終わるまでは簡潔にまとめて書いときたいと思ってます。3年になって落ち着いたらゆっくり振り返りたい。

1年の夏から始まって旅したのは34カ国。8か月ほど世界をふらふらしてました。初めて一人降り立ったバンコクに始まり、東南アジアを周遊、その後インドに行きました。2010年春の中東、エチオピア。アジアの香りから異文化にやってきた衝撃、それとともに自分は旅に慣れ、少しずつ世界というものを見ていきます。2010夏はユーラシアを渡って、アフリカに2カ月ほど滞在しました。世界における「文明」の普遍を見ることで、「世界」が見える、そう思って南米以外の文化圏を見ることができるとともに、世界およそ80カ国の人々と話すことができたことは大きな財産です。10代の少年だった自分には刺激的すぎる経験でした。本当は直接話したいことが多いけど、書けることはここに書こうかなと思っています。

2010春エチオピア、アディスアベバ。この地は、一番忘れられない。どこにも植民地になってないからこそ成り立つ本当の貧困、目を向けられないダウンタウンの貧しさ、医療がないことによるスラムの人々の姿が絶望的な最貧国のすべてを示していた。インフラがないから本当にしんどかったし、そんな田舎まで旅するとき、そのあるがままの姿と人々の姿に衝撃と感動だった。

2010春パレスチナ自治区、難民キャンプ、ゴラン高原。政治差別とアメリカの暴走、そしてパレスチナの現状。落書きの分離壁、崩壊した建物群とその瓦礫が、パックス・アメリカーナ時代の現在の世界の大きな矛盾を語っていました。

2010夏、タジキスタン。4600メートルの山岳地方に生きる人々のホスピタリティと、原色にあふれる絶景に本当に感動した。交通手段がないからヒッチハイクしかなく、村に着いたら民家に泊めてもらう交渉をしながら、アジアの最貧国、政権腐敗の中で強く生きる人々、そして川の向こうに見えるアフガンを見た。自然環境との闘いだったけど、あの日々が充実していたと強く思う。

2010秋ウガンダ。2か所でボランティアした。エイズ孤児院での自己鍛錬の中で、純粋で強く生きる子供をひとりひとり名前と個性まで覚えて接した。アフリカで同じ場所に住んでみて見えてくる世界とアフリカの実情がよりよく感じられた。キトゥグムという北部紛争地区での図書館ボランティアも、政府の腐敗さやら熱心なアフリカ人たちと接しながら、これもホームステイという形で滞在できた。

2010秋、アフリカ諸国。それぞれに個性あるアフリカが面白い。アフリカまで来ると出会う人の人生のクレイジーさが違ったし、植民地主義の名残をはじめ、グローバリゼーションに搾取される姿が鮮明であった。ルワンダ、ザンビア、ジンバブエとそれぞれが濃かった。

2010春、中東諸国。世界の中でもう自分の文化を残すのが少ない中、アメリカに反対しても文化を残す中東は格好よく、強く思えた。イスラム文化の純粋な美しさがある。世界の多くの国が、資本主義によって文化をつぶす中、イスラムが強く残っていることが素晴らしく思えた。


国としてではなく街もね。


ケープタウン、アフリカを渡り終えてたどり着いたこの地は世界で一番きれいな街といえる。テーマパークのようなこの街は、アフリカ大陸の豊かな自然にあふれる一方、ヨーロッパである。コンゴ人と旅した喜望峰から見る、アフリカの果てと、インド洋と大西洋が入り組みまじりあう絶景は忘れられません。


イスタンブール、アジアとヨーロッパが融合する街。ボスポラス海峡を渡ってたどり着くこの街は歴史、文化のまじりあいを強く感じた。アジアから見るヨーロッパ、また逆も美しかった。またあの連絡船に乗りたいし、世界にここしかない「イスタンブル」という調和に浸りたい。


ジャイサルメール(インド)、砂漠の旅をした。砂丘の美しさ、1時間に20から30を数える流星群、砂漠の厳しさ、地平線からの日の出、日没。きれいでした。


カラコル村(タジキスタン)、4600メートルの原色の自然のなかで、写真で見るとここだけ色が一段ときれい。人もみなよかった。

この足で踏んだ34カ国、濃かった国も、サクッと見た国もあったけど、一つ一つに人との出会いがあって思い出深い。だから、ゆっくり時間があるときにまとめたいなって思う。ここに数え上げればきりがないのだ。

今は、フィリピンで英語の勉強をしています。本当は20113月まで世界を見たかったけど、ここで英語を話せれば、将来もっと充実する、少なくてもいつか旅は続けられると思って、過酷な語学学校に身を置いています。試験のための勉強ですが、世界の頂点に暮らすことでまた新しい人生が見れればなと思っています。世界12位のペンシルバニア大学に行きたいけど、道のり遠く、イギリス、カナダなどを視野に入れていますが、ニューヨークとワシントンD.Cの間のペンシルバニアは本当に魅力。

何個か旅の文を書こうとしては、英語の勉強のため時間を割いてゆっくり文章を書く時間は今はないので、旅の一こまを区切ってストーリーや紀行文としてまとめるのは後にします。

世界は小さかった、思ったほど大きくなかった、これが正直な感想。けど、それはグローバリズムを意味し、世界がどこでも同じになっているかのようでした。文化というものを本当に残している国がどこまであったのか、現在の世界の悲しさでした。しかし、それが世界の今のあり方であるのなら、それを見ることができたということに関して非常に満足しています。人間も二種類に分かれ、競争社会の人間と、農耕社会の人間に分かれ、僕らは競争社会に生きているわけですが、途上国の多くの若者が競争社会に組み込み、かなりの意欲と能力を持っていることに驚きます。だから、もう少し、自分も目指すところに向かって、走るのを続けようと思ったのです。

マスメディアの語る姿と実像が違うとこともあれば、同じところもある、メディアとは偏見でしかありません、中東をあくまでも敵と報道し、アフリカを暗黒大陸と仕上げるのはつくりだされた虚像です。そこに生きる街のあるがままの様子は、そこに生きる人の笑顔であふれるものです。政権抑圧の色の漂うザンビアも、貧しくても「人」は皆、先進国側で生きる人と変わらない笑顔でいます。イラク人、スーダン人、コンゴ人と出会い、アフガンは国境沿いにその姿を見ました。みんながんばってるなって。励まされます。人とは普遍的。

世界の均一化、車はトヨタ、バイクはホンダ、電化製品はサムスン、カメラはコダック、ビールはヘイネケン、通貨はドル、言語は英語、貧しいザンビアにもジンバブエにもウガンダにも巨大ショッピングセンターがあって、スーパーマーケットがある。どこも同じ笑。

でも、やっぱり国民性だとか国によって違うよね、何かが。そういえば国境を越えるのって飽きないなって思う。入国できなかったりスリルありで、スタンプ集めがなぜか楽しすぎ。パスポートは一生の宝物。でも、あと10年後に何カ国行ってるのか楽しみでしょうがない。100ぐらい行きたいな。

人と出会う時に日本人だからといって特権はありません、ただ一人の人間としてどうなのか、そこだけでした。地球とは「人」からなる世界で、本質的にどこでも「人」とは同じです。

食べ物はなんでも食べれました、唯一エチオピアのインジェラという雑巾色の雑巾味のクレープを除いて、、、アラブ料理、アフリカのウガリ、インドのカレー、中央アジアの羊のスープとナン。そこにいるときはそれしか食べないから飽きるけど、もう一回食べたくてしょうがない!やっぱり酒ですね。ビールはどこでもおいしかった!ザンベジビールもう一回のみたいよ~

トラブル!!!いろいろあったけど、カードなくしたり、野宿2連泊とか、目の前で発砲2回聞いちゃったり、足に菌が入って6本目の足ができたり笑 でもなんとかなるよね。人生何とかなる、というか日本が合理的すぎるのだ。

ウガンダでボランティアしていた時、14歳の子供が孤児院に入所しました。その子は、アフリカの部族言語しか話せなかったけど、英語しか許されない世界に入ったとき、いつしか彼は英語を話せるようになっていました。同じく、アフリカでもバナナが何もしなくても落ちてくる場所の人と、農耕をしないと生きていけない人の生活態度というのは違います。人間は結局環境次第です。ということで厳しい環境に若いうちは置いておきたい。だからフィリピンではスコアだけ取れればと思っているのですがなかなかね、、、スピーキングテストなんか、養子の時、子供にあなたが養子であることを伝えたらよいのかとか、競馬などに使われる動物の扱いは非人道的かとか、、、日本語でも言えないのに。


生き方に触れると既存の生き方なんてできないよ。もう旅と一緒、人生も何とかなる、どれだけ楽しく生きるか。安定なんて後からついてくる。10代でいろいろあったにせよバックパック一つで世界中を駆け抜けたことは財産でしかない。

今回6000枚の写真を撮りました。空の色とか自然の原色、やっぱり違うなって思います。旅したころは日常だったことも、たった1カ月ちょっとでまた戻りたくなるあの世界。次は10年後ぐらいかな。でも留学できたら夏休み4カ月あるし、その間も月10万大学からもらえるし、楽しみ!アラスカとか、アメリカ大陸チャリ横断とかやりたいことだらけ!!!

ではこの辺で!東京に戻ってみなさんとお話できるのを楽しみにしてます。お前、世界見てきたならもっとちゃんとした文章書けよと言われますが、時間があるときに頑張ります。では!


次はフィリピン留学終了後に書きます。読者に感謝をこめて。

旅も長くなり、そろそろ旅と違ったアプローチで世界を見たいと思ったこの頃、ウガンダ、カクト県に30年アフリカで孤児院を経営している人がいると伺い、3週間ボランティアをしてきた。


ブログを書くことも久しぶり。現在はルワンダで、ウガンダではここでの話である孤児院以外にもう一つ紛争終了地区でボランティアをしていた。

旅と違った世界観に未だ自分の中でみたものへの整理がなかなかつかないので、ブログ自体なかなかかけなかったけど、自分の見たアフリカを書いてみようと思う。

自身、始めてアフリカを見たのは、数字的に最貧国であるエチオピア。そのブラックアフリカのありように衝撃を受けた。首都アディスアベバの路上生活者の数、障害者の数、しかし一方農村部では人々は貧しいながらそれなりの酒や音楽の楽しみを見出している。マーケットにもそれなりの活気がある。途上国は先進国という憧れを抱かない限り幸せかなとも思った。実際、一日一ドル以下でも生きていくことはできる。現地の物価なら贅沢しなければ暮らせる。世間で言われる貧しさとは先進国的な価値観が根底にある人間の感じるものかと思った。恐らく、アフリカをこのまま南下してもその見方はかわらなかったかもしれない。この孤児院とその周辺部をみるまでは。

この孤児院に腰をおろしてみた。子どもとの共同生活。孤児院経営者は日本人で、昭和の日本的な教育、スパルタ教育をしている。アフリカで時間きっちり、体罰有りという教育は批判されることが多いけど、彼の中である種信念があってそうしている。それは後で述べるとして、とりあえずそこでの生活を書きたい。

朝は5時30分に起きる。赤道直下のウガンダの朝は寒くてしょうがない。体操、ランニングをして朝の畑仕事など。子供は仕事を分担し、遠く離れた井戸に水をくみに行く人や、家事、畑、家畜飼育など。朝食はトウモコロシのウガリをお粥状にしたもの。全くもって腹はふくれない。

孤児院は学校を兼ねていて、その学校は孤児院で暮らす子供以外もくる。7時30分に集まって、朝礼など。そして、授業、小学校一年でも8時間受ける。公用語は英語、現地の人はルガンダ語。でも、英語を強制する。子供が世界に出れるように。ルガンダ語を話した子供は体罰。尻を棒で叩かれる、叩かれた瞬間泣く。その毎日。

学校が終わると水くみ、畑仕事、などなど。何かへましたら、飯抜き。

つまりだ。ここは、特殊世界。アフリカに日本的律儀を教える。そんなところを見て、世界を見たことになるのかということなのだが、ここで見たのは援助とは何かという話。

少しアフリカの話に戻る。僕ら先進国の人間と途上国の人間はどんなものを食べ、どういう暮らしをするにしよ、生きるために働くことは同じ。旅して世界を見て思うのは、結局生きるために必要なことをしなければならないということ。それは日本ならコンピューターをいじったり、物を売ること。アフリカなら農産物を作ること。別に水道がなくたって、アフリカの人は井戸にくみに行くのが仕事。そこに大差はないし、そこで水道を作ったって、その間アフリカの人間はぼっーとするだけなのだ。そのぶん生産性が増えるわけではない。これに関しては、批判もあると思うけど、アフリカを見た事があるならばわかると思う。やつら、昼間からぼっーとしてるだけ、働かない。生きることに大差はないが、決定的な違いはある。

アフリカの人は、失礼であるが動物として生きている。先進国は人間関係として生きている。

自分自身、このような結論を出すのは、人権うんぬんとかあるし、短絡的かもしれないが、アフリカを見た上で出した答えだ。大部分のアフリカ、農村部のアフリカには、教育としてか歴史的に奴隷としての遺伝子が組み込まれてしまったのか全くなにも考えない。努力しない。日本なら多少苦痛を伴っても努力すれば報われることを知っているし、努力次第でいろいろな選択肢がある。けれど、アフリカでは生きるだけの世界。生きるための最低限のことしか彼らはしない。その日ぐらし。そういうふうに生きることが、親からの教育のコアな部分や遺伝として組み込まれている。別に生きるだけの世界ならそれでいい。けれど、今起こっている問題は、先進国がグローバル化という名のもとで植民地時代と同様の支配がアフリカの実態として残るからだ。便利な携帯電話などをアフリカの人は知ってしまった。使うことは強制ではない。けれど、みんなが持っていて、自分も持ちたい。だから、食べ物に使うお金の多くを携帯電話や、違う例で言えば、コーラなどに使う。でも、先進国ではそれは努力して手に入れたものなのに、アフリカは違う。彼らは努力しない、けれど、欲しい。だから先進国に搾取され続ける。

だから、そこに物をあげる援助をしても何もかわらない。だから、彼らにしてあげる最大の援助は、そうしたグローバル化の中で共栄共存できるように教育すること。グローバル時代の普遍を教えること。そうして、同じ態度の中で、同じ環境の中で競えるようにすること。それを教えている。

この孤児院はそういう場所だ。ここでは、援助としての教育の大切さを痛感した。そして、その中で周辺の村の生活をそこに住みながら見れた。マーケットの実際に買う中でわかること、その孤児たちの親の実態の把握、職をなくした人々の絶望。住む中でそれが見えてきたと思う。

自分としても、そんな中での暮らしは大変。生活についてを補足すると、食事は昼と夜は、主食いも。プラス、ピーナッツスープか、豆か、煮干しの汁がでる。栄養失調になりそうだけど、アフリカの実態を感じた。シャワーなどない。水も貴重。だから、シャワーはペットボトルいっぱいの水のみ。電気はあるけど、高いからあんまり使えない。つらかった。

そこでのボランティア。最初は授業の教材を作ったり、掃除、畑仕事、水汲みを手伝ったけど、孤児院経営者に言われたのが、一人の子供に常に付き添う中で、その子どもがどうすれば楽しく、また仕事がスムーズになるかを常に考えろと。だから、一人お気に入りの子供を見つけ、その子に徹した。大人しい子どもが、日が立つにつれて自分と関わってくれるのがうれしかった。

ここにいたのは3週間、もっといろいろ学んだと思う。とりあえずここで区切ります。アフリカで日本語が使えるパソコンはないし、iPhoneから長い文章を書くのは大変。なかなかブログが書けずすみません。Twitterは気軽に書けるので、現在何してるなどはそちらで。



iPhoneからの投稿

ブログなかなか更新できなくてごめんなさい。読者がけっこういることはかなり嬉しいのですが、、、

現在イスタンブールです。文明の十字路。ここからアフリカに飛ぶことにしました。

アフリカが呼んでいます。3月にエチオピアに行きました。旅が終わったらその思い出はまとめて書きますが、あれほどまで自分の魂を揺さぶり、旅のつらさに泣きたくなって、でも何度も感動した最高の経験はありません。

エチオピアは旅人にとってベストとあげる人が多いので、エチオピアにまさる感動があるとはわかりませんが、アジアを見尽くして感動が少なくなった僕にとって、アフリカは最後で最高の感動、魂を揺さぶる感動ができると思ってます。だから、行きたかったイランを飛ばして一気にイスタンブールに来ました。

アフリカではウガンダにある孤児院で三週間ぐらいボランティアするつもりです。このことは情報不足でボランティアできない可能性もあるので、できたら終わってから報告するつもりです。

その後は、サファリ、ビクトリアの滝、世界一の砂漠ナミブ砂漠、ルワンダ虐殺記念館、キリマンジャロ、、、

まあいけるとこまで見て、その過程で悲しきまでの貧困を見つめたい。

そして最後にケープタウン、最南端の岬、喜望岬で笑ってアフリカ、そして自分の旅人生活を終えたい、そう思います。

伝えたいこととしては、アフリカのネット環境が悪いので、更新が困難です。でも、旅が終わったら自分にとっても旅を振り返りたいのでしっかり書くつもりです。もちろん旅の間でもなるべく書きますが。

ずっと旅に憧れこれまでおよそ150日。23カ国。ヨーロッパ行けば国は倍ぐらいになるけど、まあいいとして。

その最後、旅人はアフリカに辿り着く。泣きたいつらさ、恐怖の果てに好奇心を失わせるまで旅した旅人の最後の感動を目指し、赤道ウガンダから時間の許すかぎり陸路で南下します。そして、ボランティアもかなり過酷という噂。

乗り越えて、旅を終わらせて、もっと強くなって20歳を向かえたい。

書けるときにブログは書きます。イスタンブール滞在中は過去のブログ更新を急ぎます。Twitter、mixiではブログより頻度高くつぶやき、居場所は伝えます。大学生、冬学期頑張って笑。

旅は11月12日終了で、フィリピンに直行します。

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