桜も散って静かになった滝山城跡を歩いてみました。


滝山城は北条氏照が居城として、武蔵国の領国支配をしました。この城下が八王子の町の始まりとなりました。


この城は北方からの上杉や武田からの防御の城として多摩川の急峻な断崖を巧みに利用して築かれた北を睨む堅固な天然の要塞です。


丘陵を巧みに利用し空掘りと土塁で区画し堅固な防御で固められています。


永禄12年(1569)侵攻してきた武田勢に三の丸まで破られ、この為に新たにより堅固な石垣を併用した八王子城を築き居城を移した事により廃城となりました。


発掘調査も進み遺構もしっかり残っていて往時の面影偲ぶことが出来ます。



       多摩川の風吹き上げて夏木立


幾山河越えて


千畳敷   発掘調査による礎石から見るとかなり大きな建物があったようです。東側に二の丸馬出の空掘りがあります


幾山河越えて


三の丸空掘りで三方に空掘りが巡っています。北側は小宮曲輪でこれも三方に空掘りが巡らされています


幾山河越えて


二の丸南の空掘  上方は土塁に繋がっている大きな空掘りです。堀の中一面に生えていて木々を伐採したのでしょうか?以前よりすっきりした状態で見ることが出来ます。


幾山河越えて


馬出への虎口  二の丸の西側の出入り口で先にはコの字城の空掘りと土塁が盛られている。

郭内の道は直線は殆ど無く、食い違いの形式をとって敵の侵入を防ぐ構造になっています。


幾山河越えて


二の丸は北条氏照が居館としていた重要な曲輪で防御体制も整った形になっています。

空掘り、土橋や土塁で守られています。


幾山河越えて

馬出曲輪から中の丸への喰い違い虎口は良好な形で見ることが出来ます。


幾山河越えて

二の丸馬出前の空掘り  馬出曲輪隣の家臣屋敷跡は桜が5000本ほど植えられ、桜の時期はお花見の人出で賑わいます。史蹟のためトイレはあっても売店等はありません。お弁当は持参です。


幾山河越えて

城郭図で城の構造規模が説明されています。

幾山河越えて


中の丸から多摩川越しに北方を一望できます。この中の丸には以前は国民宿舎が設置されていました。

今は廃止になりましたが宿舎の建物は其の侭残されています。


幾山河越えて


中の丸  多摩川の侵食で出来た急峻な崖上にあります。

武田信玄は城の直下の多摩川北岸の拝島に本陣を張り、勝頼は多摩川を渡って滝山城攻めをしました。


幾山河越えて


本丸への引き橋を渡ると本丸虎口で周囲は厳重な土塁で囲まれ、石畳の道になっていて奥に行くほど道幅が狭まり、一時に大勢が通れないように工夫されています。


幾山河越えて


本丸井戸  引き橋を壊すと本丸は独立した要塞となり、籠城が可能であったとの事。


幾山河越えて

史蹟滝山城跡

幾山河越えて

引き橋  左が本丸、右が中の丸となり復元引き橋で繋がれています。


幾山河越えて

本丸も周囲は全て土塁で囲まれ堅固な防御体制がとられている事が分ります。