奈良井宿


奈良井宿は戦国時代に武田氏の定めた宿駅で集落の成立はさらに古い。慶長7年(1602年)江戸幕府によって伝馬制度が設けられ、中山道六十七宿が定められた。


現存する重要伝統的建築物群保存地域は中山道沿いに南北薬1km、東西200m。


南北両端に神社。町並みの背後の山裾に五つの寺院が配置され、街道に沿って南側から上町、中町、下町の三町に分かれ、中町には本陣、脇本陣、問屋などが置かれていた。 (案内板より)


      小春日や奈良井の宿は古色たり

幾山河越えて


奈良井大橋を渡りJRの線路と奈良井川を左に見て歩いてくるとJR奈良井駅です。

宿場入り口の奈良井駅に着いたので三人揃って記念撮影です。松本から観光に来た綺麗なお嬢さんにシャッターをお願いしました。右の方は葛飾の人で東海道五十三次を終え、中山道六十九次に挑戦中。中の方は石川県の人で東海道も終え、五街道制覇に意欲を燃やしている街道歩きの猛者さん達です。


幾山河越えて

駅前には木曽路 奈良井宿 の標柱と案内板が出ています。
幾山河越えて


木曽路の宿場町の入り口はこのような綺麗な趣きある宿場表示が出ています。


幾山河越えて


宿場に入ると、そこは古色蒼然とした江戸時代へタイムスリップした町並みが長さ1kmに渡って続いています。

自動車は邪魔ですけれど。

幾山河越えて


訪れのたのが平日のためでしょうか?定休日と重なった為でしょうか?人通りも少なく静かな町並みです。


幾山河越えて


丹精込めて育てた菊の鉢を飾って旅人に安らぎを与えてくれている町屋です。


幾山河越えて


間口の小さな町屋でも奥行きはあります。


幾山河越えて


地酒 杉の森 蔵元の軒先に吊り下げられた大きな杉玉は見事です。創業寛政五年というと西暦1793年、松平定信の幕政改革時代ですねぇ。


幾山河越えて


木曽漆器の店やら旅籠、民宿、土産物屋など多くの店が軒に店の屋号、看板を出しています。夜になって灯が燈るとまた綺麗でしょうねぇ。


幾山河越えて


杉の森のお店の全景。大きな町屋です。すぐ近くで杉玉制作をしている所がありました。


幾山河越えて


観光用の人の住んでない建物ではなく、実際にそこで生活している家々も多く、生活感が感じられる町並みです。

幾山河越えて


うだつ、千本格子、猿頭、出梁り造りの町家の形式を見事に残した大きな町屋が並んでいます。


幾山河越えて


隠れキリシタンの言い伝えのあるマリア地蔵のある大宝寺は宿場の脇道を入ったところにあります。


幾山河越えて


正岡子規や幸田露伴など多くの文壇の人達が泊まったという旅籠の「徳利屋」は現在も営業中です。外から見る造りも風格があり見事ですねぇ。


幾山河越えて


宿場は上町、中町、下町の三区画で構成されています。こういう町並みには郵便ポストは鉄製では適いませんねぇ。やはり旧来の懐かしいポストです。


幾山河越えて


勾配の緩い屋根、深い軒。そして屋根はかつては前に見た贄川関所と同じ様な板葺き石置き屋根でしたが、今は鉄板葺きに改修されています。


幾山河越えて
国の重要文化財指定の手塚家で今は上問屋資料館となっていて、江戸時代から明治まで270年間に亘り伝馬と歩行役を管理。人馬や休憩、宿泊等を司った問屋との事。明治天皇行在所の碑も建っています。

幾山河越えて

鍵の手で宿場は急角度に曲がっています。
幾山河越えて


中山道最大の難所と云われた鳥居峠を控え、峠越えに備えて宿をとる旅人が多く「奈良井千軒」と呼ばれる賑わいを見せていた宿場だそうです。

幾山河越えて

往時の宿場の姿を偲べる多くの建物が街道の両脇に立ち並んでいます。
幾山河越えて


奈良井駅発16:56の電車に乗るため、見過ごした所は次回のてくてくの際に見る事にして駅に戻りました。

携帯に駅から時刻表を入れて置くと便利です。時間を間違えると次の電車まで1時間も待たねばなりません。

幾山河越えて
奈良井駅は業務委託駅ですので切符は駅で発売されています。乗車する電車はワンマンカーです。