宮ノ越宿~間の宿の原野~福島宿


いよいよ今回は木曽義仲の本拠地の宮ノ越宿に入ります。木曽義仲は源頼朝の叔父の義賢の二男で武蔵国大蔵(埼玉県嵐山町)で生まれ幼名駒王丸と称す。


義賢は源氏の嫡流争いで討たれ、駒王丸の殺害を命じられた斉藤別当実盛に助けられ、木曽谷の中原兼遠のもとで育てられ、元服して木曽次郎義仲と名乗る。


治承四年(1180年)以仁王の院宣を受け平家追討の旗挙げをした。


入京した義仲は征夷大将軍に任じられるが、後白河法皇の策謀などにより元暦元年(1184年)義経の軍勢に攻められ、敗走中粟津ヶ原で31歳の生涯を閉じた。(中山道 風の旅)


                      旗挙げの八幡社冬日和


幾山河越えて


旧道から19号に出てしばらく歩き木曽川に架かる山吹橋を越えると宮ノ越宿入り口です。


幾山河越えて


山吹橋の交差点には大きな義仲館の看板が出ています。ここを右に曲がると角には宮ノ越宿の屋根付きの宿表示が出ています。


幾山河越えて


右に流れる木曽川の深い淵は巴淵です。巴淵の後ろの山吹山は8月14日[木]の火文字が燃やされるそうです。


幾山河越えて

 巴淵の碑には許六の句 ・・ 山吹も巴もいでて田植かな 


     他に ・・   蒼々と巴ヶ淵は岩をかみ

                  黒髪愛しほととぎす啼く

幾山河越えて

暖かな日差しに野生の猿も巴淵見学です。


幾山河越えて

この黒門のある家の前には、有栖川宮胤仁親王薫子両殿下御休之趾の碑が建てられています。

幾山河越えて

道なりに歩み行くと木曽一族の菩提寺 臨済宗日照山 徳音寺です。 正面の鐘楼門(2階が鐘楼になっている)


幾山河越えて


本堂の左手には義仲の木像を安置した霊屋がある。


幾山河越えて


霊屋の中は義仲の木像を中心に一族郎党の位牌が祀られています。

 


幾山河越えて
徳音寺の鐘楼門は723年の創建。指定文化財 ・木曽八景 ・「徳音寺の晩鐘」

遠近は聞もさだめぬ山風の
       さそふままなる入相のかね
             幾山河越えて


徳音寺の前には資料館の「義仲館」があります。


幾山河越えて


正面には両脇に笹竜胆の源氏の旗を靡かせて義仲と巴御前の像が置かれています。


幾山河越えて
義仲館を出て木曽川に架かる義仲橋を渡ると宮ノ越宿の中心です。道を横切って坂を上った所がJR宮ノ越駅です。無人駅です。

幾山河越えて


先に徳音寺や義仲館に立ち寄ったために、旗挙八幡宮に行く為には後戻りしなければならない。

思案していたら、地元の親切な方に車で送って頂きました。感謝。


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八幡宮の注連縄を巻いた大欅は義仲の旗挙げの戦勝祈願に植えられたもので樹齢800年といわれている。


幾山河越えて


八幡宮のある所は義仲館跡でもある。今は八幡宮と鳥居のまえの参道の小さな区画になっていて、周りは田圃になっています。


幾山河越えて


参道から八幡宮と田圃の向こうの2代目の欅と義仲公館跡の碑のある全景。


幾山河越えて


千人余の軍勢を率いて平家追討に出た木曽義仲の本拠地は木曽路には数少ない広大な田圃が広がり、強力な大軍勢を養うのに十分ゆとりがあったのでしょうねぇ。


幾山河越えて


宮ノ越本陣跡。間口九間、奥行き十八間、敷地194坪だったそうですが、明治16年の火災で全焼との事。


幾山河越えて
奥に住宅が見えます。

幾山河越えて


明治天皇御膳水の井戸。釣る瓶井戸になっています。


幾山河越えて


宮ノ越宿の静かな通りです。


幾山河越えて


宮ノ越一里塚跡。


幾山河越えて


木曽路には珍しく広々とした田圃が気持ち良いです。


幾山河越えて


てくてく歩んでゆくと左手木曽駒ヶ岳が見えてきて感動です。電線がちょっと邪魔ですねぇ。


幾山河越えて


間の宿の原野に入ってきました。


幾山河越えて

しばらくして街道を右に曲がると、JR原野駅です。ここも無人駅です。


幾山河越えて

駅を越えたところには、四本柱を立てた本格的な相撲場を持つ八幡神社がある。

幾山河越えて

神社の裏山の中腹には、原野の集落や駒ヶ岳を眺める巨大な一枚岩の明星岩ヶあるというので、登ってみました。踝まで埋まるような落ち葉が積もっている上、急斜面の山道は歩き難くで汗だくです。


幾山河越えて


大したことはないだろうと思っていましたが、物凄い巨大な岩で驚きました。


幾山河越えて


明星岩からは木立越に、真っ青な空に真っ白な雪を被った木曽駒ヶ岳が真正面に見えます。


幾山河越えて


ちょっとズームしてみました。


幾山河越えて

降りてきて、駅の所まで来たら、牛の大きな鳴き声が聞こえます。声のする方を探してみたら、なんと!四足をぐるぐる巻きに縛られた真っ黒な牛が転がって泡をふいています。

何事かと尋ねてみましたら、これまた何と!これから去勢手術を施すところだとの事。左の方が獣医さんです。

幾山河越えて

街道に戻って福島宿に辿る道の脇には様々な碑が置かれています。

幾山河越えて


宿場を抜けた街道の右側に先程の明星岩が山の中腹にドーンと大きな姿を見せていました。


幾山河越えて


左手には優雅な甲斐駒ヶ岳がこの辺の集落の裏山という感じで、すぐ其処!に聳えています。


木曽八景の駒ヶ岳夕照には ・・・ おしめ人入日を山の名にしおふ

                              ひき行く駒のすくる光を
 

幾山河越えて


まもなく中山道 中間地点の碑のある所に来ました。

             京へ六十八里二十八町江戸へ六十八里二十八町(266km)


幾山河越えて


さらに歩を進めると、ここではうっかりすると道を間違えてしまいます。

落ち葉の溜まった左に下る道が旧中山道です。小さな標識が木にたて掛けてあります。


幾山河越えて

下ると開けた場所に出て正沢川の鉄橋を渡って栗本の集落に入ります。ここには義仲育ての親で巴御前の親でもある中原兼遠館跡があります。狭い道路一杯に重機が入って工事中でしたので、通り過ぎました。

幾山河越えて


天神川を渡ると左に義仲、巴の「手習天神」があります。


幾山河越えて


天神社の彫り物は柿沢集落の永福寺観音堂の彫り物と同じ立川流彫刻で四面を飾っています。


幾山河越えて

一旦、国道に出て道なりに歩いて行くと、右中山道の標識が見えます。こんな農道のような所を下って旧道に戻ります。
幾山河越えて

陽が傾き始め、夕映えの景色の中を福島宿へと急ぎます。

幾山河越えて


再度国道19号沿いに歩んでゆくと、道を挟んで蕎麦の車屋の反対側に芭蕉句碑があります。


                思い出す木曽や四月の桜狩

幾山河越えて


木曽警察署の前を通り、木曽大橋の下を潜り抜けてまた国道19号に入り、其の侭進むと道幅一杯に巨大な冠木門が建っています。福島宿入り口です。


幾山河越えて


旧道は左の坂を上がって関所に入ります。昔は右の今の国道は無く断崖になっていた。


幾山河越えて


関所跡。東門から西門をみる。関所は西の門から東の門まで一町程の広さがある。一方は傾斜の急な山林に倚り、一方は木曽川の断崖に望んだ位置にある。 (島崎藤村 「夜明け前」)


幾山河越えて


復元関所資料館。五街道に設けられた関所は五十関。江戸四大関所は碓氷関・箱根関・新居関・福島関です。


幾山河越えて


関所前の通り。中山道は脇道などのない木曽川の断崖の上の一本道で、否応無く関所に入ってしまう。天険の地に立地していたとの事です。


幾山河越えて


代々関所番を勤めた高瀬家は関所の隣です。島崎藤村の姉の園が嫁いでいて「家」のモデルになっている。


幾山河越えて


高瀬家の庭園


幾山河越えて


高瀬家を過ぎて「初恋の小道」と称する急な階段を宿場に下りてゆきます。小道には多くの人から寄せられた俳句や短歌、詩などが飾られています。

ここには島崎藤村の初恋の碑。

  まだあげ初めし前髪の 林檎のもとにみえしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり  ・・・・・

幾山河越えて


関所の通りから見る福島宿




幾山河越えて


七笑 醸造元の店舗


幾山河越えて


夕闇迫るJR木曽福島駅


幾山河越えて

ライトアップした奈良井の木曽大橋が綺麗と言うので再度、寄ってみました。

相変わらず彼方此方に寄って、写真を撮ったりで時間どうりに動けません。今回も福島宿に入ってすぐ日没です。次回に再度、宿内の見学してからの上松宿に向かってのてくてくとなります。