宝塚と政治宗教 | 45分で夢の世界へ

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宝塚歌劇や旅行について語ります。

    宝塚の公演は、「清く正しく美しく」 あり、観客がいかなる思想信条であろうと、等しく楽しめるように造られています。
    そのため、政治宗教に対しても、生々しいものについては、それらをテーマとして押し出すことは避けています。フランス革命や、卑弥呼のようなシャーマン宗教は、定まった歴史として受け取られ、生々しさを感じることはありませんが…。

    轟理事の「チェ ゲバラ」についてはしかし、「生々しく『なく』」描くことができるのでしょうか?
    小生は難しいと思います。

    チェは筋金入りのコミュニストで、共産主義の理想を追い求めるがために、仲間と離れ、ゲリラとして処刑されてしまいます。その点描かずに、あるいはぼやかしては、彼の死に説得性を与えることはできないはずです。
    数々の名言を台詞とし、その行動原理を、例えば「民衆の為の人道主義」などと描くとすれば、それはごまかしではないでしょうか。
    彼の死に場所は、民衆の日々とはかけ離れた場所でした。

    演出の原田氏は、「メサイア」であまりに無邪気に「あり得ないメシア」を表出されました。
    単純に演出上の狙いだったのでしょうが、「メシア」は歴史的ではあっても、ひとによっては生々しい意味を持つことばです。そのことについての配慮は足りなかったと考え、以前書かせていただいています。

    チェ ゲバラを生々しく描いて、宝塚のタブーをおかすおつもりはないでしょう。
    またまた無邪気な発想で政治性をスルーされ、とにかくカッコいいチェを造形されるのか。それで強いドラマをお造りになれるのか。
    お手並み拝見致したいと存じます。