そのため、政治宗教に対しても、生々しいものについては、それらをテーマとして押し出すことは避けています。フランス革命や、卑弥呼のようなシャーマン宗教は、定まった歴史として受け取られ、生々しさを感じることはありませんが…。
轟理事の「チェ ゲバラ」についてはしかし、「生々しく『なく』」描くことができるのでしょうか?
小生は難しいと思います。
チェは筋金入りのコミュニストで、共産主義の理想を追い求めるがために、仲間と離れ、ゲリラとして処刑されてしまいます。その点描かずに、あるいはぼやかしては、彼の死に説得性を与えることはできないはずです。
数々の名言を台詞とし、その行動原理を、例えば「民衆の為の人道主義」などと描くとすれば、それはごまかしではないでしょうか。
彼の死に場所は、民衆の日々とはかけ離れた場所でした。
演出の原田氏は、「メサイア」であまりに無邪気に「あり得ないメシア」を表出されました。
単純に演出上の狙いだったのでしょうが、「メシア」は歴史的ではあっても、ひとによっては生々しい意味を持つことばです。そのことについての配慮は足りなかったと考え、以前書かせていただいています。
チェ ゲバラを生々しく描いて、宝塚のタブーをおかすおつもりはないでしょう。
またまた無邪気な発想で政治性をスルーされ、とにかくカッコいいチェを造形されるのか。それで強いドラマをお造りになれるのか。
お手並み拝見致したいと存じます。