豪雨の宝塚 | 45分で夢の世界へ

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宝塚歌劇や旅行について語ります。

 半閉鎖(以北は運転見合わせ)の宝塚駅を通って大劇場に行ってきました。


 このくらいではファンはへこたれないですね。二階は分かりませんが、一階はほぼ満席だったと思います。

 


 お芝居もショーも熱かった。共に更に深化していました。

 

 やはり寺田さんのメロディは中毒性が有るようです。以前も書かせて頂いたのですが、何かが他の方の創られたものとは違っているのでしょうね。「宝塚のモーツァルト」という形容も、まさにその通りだと思います。

 

 ただその印象的なメロディも、歌い手によっては魅力がちょっと……。だいもん(望海風斗)ときいちゃん(真彩希帆)、雪組生達で歌われていれば、本来の魅力を湛えたでしょうが、そこはもったいなく感じました。

 

 この観劇は、マイ楽ですが、公演が始まるまでは3回も観ることになるとは思っていませんでした。ショーの楽しさに、はまったこともありますが、脳内でリフレインする寺田メロディに惹かれたのも間違いありません。お芝居自体はもう十分ですけれど。

 

 さすがに轟さんの存在にも慣れました。というより、公演全体でみると、小生にとっては存在感が大きくないので気にならないのだと思います。

 

 轟さんはもとより主人公一人だけが悩み逡巡するお役(まあいつもですね)。その逡巡と苦悩を表現なさるのが魅せどころだと思うのですが、そのお芝居が際立ってきません。だいきいコンビが、的確かつ個性のはっきりした役造りをし、絡んでくるなかで、台詞声や表現のヴァリエーションが小さいからか、お芝居が一本調子に感じられました。

 

 初演時の轟さんは、声にもヴィジュアルにも威力があり、お芝居に多少癖があっても、それを押しのけ説得力を持たせることがおできになったと思います。それこそトップスターのオーラであったと思うのです。

 

 またきいちゃんの役造りが「若すぎる」という評があるのは酷だと思いました。ジョアンが若く、天真爛漫、思うままに生きているからこそあのような身勝手な行動がとれるわけで、このお芝居では、落ち着いた役造りなどできないと思います。いったいどうすればよいのでしょうか?

 

 むしろ、ラヴィックがジョアンに寄せなければならないのでは…。ラヴィックはジョアンに対して、余裕があり過ぎてはいけないと思うのです。「落ち着き」のある(あり過ぎる)ラヴィックの中に、「彼」のジョアンに対する気持ちが見えにくい。だから轟ラヴィックがジョアンに対して気持ちを表す時、いつも唐突に感じられるのではないでしょうか。

 

 またジョアンは、アンリもラヴィックと同じように憎からず思うわけですから、アンリが30そこそこであれば、おなじ恋愛対象として、せめてラヴィックは40そこそこでないとおかしいのではないでしょうか。そういう意味でも轟さんのラヴィックは難しかったように思います

 

 

 きいちゃんは今回パンフレットの中で、珍しく役造りに関する自信のようなものを述べられています。いつもぎりぎりまで迷いを告白されることが常なのに…。でもこれは、彼女のこれまでの役造りへの取組みを通して、彼女自身が成長されたことの証だと思います。

 相手役は紫藤りゅうくんに始まり、琴ちゃんから、かいちゃん、だいもんに至るまでいつも相手役から多くのことを吸収し、そのお役をご自分のものにし、今の彼女があるのだと思います。相手役が轟さんだからといって、特別なことはなかったはずですし、ことさら轟さんのキャリアを取り上げても的外れのような気がします(むしろ轟さんは、きいちゃんジョアンに翻弄されています)。今までの積み上げがあってこその、彼女の演じっぷりなのではないでしょうか。(これはだいもんにもあてはまりますけどね。)

 それまでの生徒さんの得てきたものを、重く見ない形で、轟さんとの共演の効用を説かれるご意見に対して、違和感を覚えることが多く、あえて書かせていただきました。

 

 

 長くなりますが、縣千くんが新公の練習で轟さんのお芝居を(見て研究した)ようにおっしゃっていました。以前から聞いているように、轟さんはやはり、新公生徒に直接教えるようなことはされないようです。相手役さんとはお芝居を合わせなければならないんで、それなりに打合せるのでしょうが、新公で特に何もされない。これは彼女のポリシーなんでしょうか?より広く、多くの生徒さんに彼女の経験を伝えようとするなら、やはり言葉で伝えられた方がいいと思うのですが…。ずっとそのスタイルでこられたので、もう変えようもないのでしょうね。

 

 縣くんのラヴィックは、轟さんのものとは違っていたが、ちゃんとラヴィックで魅力的だった。という評が多かったですが、これもそのお稽古の効用だと思いますし、同時にラヴィックという役の本来のあり方を示していたのかもしれないと感じました。

 

 

 お芝居の最後で、収容所に向かうラヴィックさん。みなさんの薬とかもっと持っていかれたほうがいいのでは…。といつも失礼なことを感じつつお見送りしておりました。

 そして聴かせてもらえる合唱は、すがすがしく美しくて大好きです。

 

 

 

 ガートボニートもさすがにテーマを覚えました。

 

 感じるのはだいもんの充実。ベッドに身をまかせての挑発でこれだけドキドキさせてくれる。

 目に入るのは男性でも女性でもない「宝塚の男役」の色気の発散、そして声の威力。彼女の16年の男役としての研鑚が、これだけのかたちに結晶して観客に提示される。有無を言わせないトップの風格だと思います。

 まさに旬のトップさんの美しさと豊かさ。これを観てこそ宝塚の公演に来た値打ちがあると言えるのではないでしょうか。

 

 紫の大きなクッションに、なんだかクラクラしてしまいました。

 

 

 そしてまたきいちゃんの声の威力。お芝居での一般的な娘役トップの台詞声としても、明らかに際立つ美しさ。

 そして歌唱は裏声も地声も強くしなやかで豊かな響き。正確な音程とリズム。

 クルクル変わる表情の可愛らしさに、いつまでも彼女のパフォーマンスを観ていたいと感じさせてもらえます。

 

 

 このふたりの組合せは、やはり今の宝塚が誇るエンターテイナーコンビだと思います。

 「宝塚らしくない」とおっしゃる向きもあるかもしれません。でもふたりに、例えば和物のお芝居と伝統的な宝塚レビューを演じてもらっても、とても魅力的な公演になることは想像に難くありませんし、むしろ彼女らを中心とする雪組のファンはそのような公演にも期待していると思います。

 

 

 この公演を観重ねていけば、ショーの雪組生のパフォーマンスに、観客はますます魅了されていくでしょう。同時にお芝居の単調さ、古さには残念ながら退屈を覚えるようになると思います。キラキラしていて、何度も観ていたい何かがあれば、そんなことはないのでしょうが…。

 お芝居の中で一番重要なラブロマンスに、少なくない観客が違和感を持ってしまうことは、やはりマイナスです。どうすればその違和感がなくなるか、答ははっきりしているだけに、無理でも何とかならないのかと思ってしまいます。

 

 

 実はこの観劇以来、昨日今日と荒天具合は酷くなる一方でした。

 地震に大雨、いろんなことが起こった公演でしたが、そのたびごとに雪組生達は精一杯のパフォーマンスをみせてくれました。だいもんを中心に、より結束の高まった忘れられない公演になるのではないかなと思っています。