神戸電鉄岡場駅の歴史 | 復活 裏六甲の謎のオサーン 教祖(@兵庫県産)でっす!

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さて、ワタクシ

神戸市北区の神鉄沿線民に初めてなったのが1980年。

 

以後、この目で様々な変化をみてきました。

前回、花山駅の歴史について書きましたが、

今回は神戸電鉄三田(さんだ)線 岡場駅について記憶の範囲で書きたいと思います。

 

まず、岡場駅は神戸市北区藤原台にある、

北区北部で最大規模の街にある駅です。

 

 

1980年頃は神戸市北区有野町有野って言うてた記憶あります。

当時の岡場駅は現在地より200mほど北(甲北病院の裏)にあり

地上駅でした。

 

当時は単線で、この左側に現在の高架線を

建設しています。

 

(地上時代の岡場駅)

 

おそらく、概ね40歳未満の方は記憶に無いでしょうから

ショッキングな岡場駅の姿ではないでしょうか?

当時は1面2線。

 

1980年頃のダイヤは

上り始発は5時27分(有馬口行 新開地行接続)

上り終電は22時55分(有馬口行 新開地行接続)

下り始発は5時45分ころ?(忘れました)

下り終電は23時37分(三田行 旧型車800系のスジ)

有馬口行がかなりありました。当時新開地発も有馬温泉や道場南口行の比率が高く、三田方面は有馬口か道場南口で乗り換えが半数以上を占めていました(4両編成対応が道場南口までだったため)

日中は1時間あたり、「急行」1本と「普通か準急」1本の30分間隔が基本で、

夕方以降新開地ー岡場間の列車が加わるという形でした。

 

ちなみに当時の岡場行の電車は五社駅のお客さんのために運行されており

今の新幹線新神戸駅の役割が五社駅、折り返しのできる西明石の役割が岡場みたいな関係でした。

現在の岡場行と役割が違いますね。

 

当然の如く構内には37キロ短尺レールが使用されており、これは1928年当時のものと思われます。

(当時レールの刻印は見ました)

前後の区間の軌道は、五社のトンネル付近から有野川鉄橋北側までは開業時からの短尺レール、岡場駅手前の有馬街道交差付近は10m2本溶接の20mレール、岡場ー田尾寺間はほぼ開業時からの短尺レールでした。

箕谷以北に関して言えば曲線部分を中心にレール交換が始まったばかりの頃で、殆どの直線区間や駅構内では1980年代半ばまで開業時から55〜60年間程度レール交換がされていなかったということです。

 

旧駅の便所はもちろん開業時からのぼっとん便所。

1970年代には既に有野団地の下水処理場などはあったものの、有野町はまだまだ水洗便所はレアでした。

1980年頃は神鉄三田線には全く水洗便所の駅がありませんでした。

 

旧駅には自動改札は当然なく

自動券売機が入ったのも1985年の移転直前やったと思います。

非常用のタブレットもありました。

 

岡場駅は現在地に移設された時点では1面2線のままでしたが

後に2面3線→2面4線と大きくなっていきました。

 

高架化までは岡場から隣の五社駅までが2.1キロ、田尾寺駅までが1.4キロでした。

高架化後は五社駅まで1.9キロ、田尾寺まで1.6キロに変更されたため、

五社ー岡場間の運賃は一時的に値下げになりました。(2区→1区)

 

1980年頃の岡場駅付近には近藤病院(現在の甲北病院)と

農協、木造の旧有野小学校くらいしか目立った施設はありませんでした。

当時の団地の北限は有野台と言われており、五社以北は電車もガラガラで

ローカル色が強かったと記憶しております。

近藤病院はかなり古くからあると思われますが建物の一部が現役です。

 

神戸市北区の北部は1986年の福知山線複線電化で大阪へのアクセスが

1988年の北神急行開業で神戸へのアクセスが飛躍的に向上。

中国自動車道や山陽自動車道、新名神など道路の拠点にもなり

平成以降三田市とともに発展していきました。

 

ちなみにYouTubeで1987年撮影の神戸電鉄三田線の前面展望があがっているようです。

映像で確認したい方はそちらへどうぞ😀