神のはしため ルイザ・ピッカレータ
神のみ旨の小さな娘
第9巻より
1909年4月1日
イエスは苦しみから生れる宝石で魂を飾られる。
私は身動きもできないほど苦しんでいたので、イエスが父なる神を讃え、私たちの罪を償い、ご自分の苦しみによってもたらされたすべての恵みを手にされようとされたその愛の強さと共に、自分のささやかな苦しみをイエスの苦しみと共に捧げようとしました。そして私は自分に言いました。
「私はこれらの苦しみが私の殉教であるかのように、痛みが死刑執行人であるかのように、ベッドが十字架であるかのように、そして私の不動が私を縛り付けている縄であるかのように、この苦しみを受け止めよう。でも死刑執行人は…見えません。では、私を引き裂き、身体の外側だけでなく、最も親密な部分、魂の奥底までズタズタに引き裂き、私の人生の輪に亀裂が入るのを感じるほどズタズタに引き裂く私の死刑執行人は誰なのでしょう? ああ!私の死刑執行人は祝福されたイエスご自身です!」
その瞬間、ほとんど一瞬にして、主は私に言われました。
「娘よ、私があなたの死刑執行人なることは、あなたにとってこの上ない名誉なことです。私はまるで花嫁を配偶者として迎え、公の場に送り出さなければならない花婿のように、花嫁に美しい衣装を与え、自分にふさわしいものにするために、誰も、花嫁本人さえも信用せず、自分で彼女を洗い、櫛でとかし、衣装を着せ、宝石やダイヤモンドで飾りたいと思っています。これは花嫁にとって大変名誉なことで、彼女には『私は花婿を喜ばせることができるだろうか?彼は私の衣装を気に入るだろうか?それとも彼は、彼を最も喜ばせる方法を推し量ることが出来なかった私を、愚かな者として非難するだろうか?』という心配がないのだからなおさらです。
だから私は愛する配偶者たちにもそうしています。彼らに対する愛情はとても大きいので、私は誰も信用できません。私は彼らの死刑執行人として振る舞うことを強いられることさえありますが、愛に満ちた死刑執行人です。だから今、私は彼女を洗って、今度は櫛で梳きます。今、私は彼女をもう少し美しく服を着せ、今度は宝石をちりばめます。大地から生れる宝石は、すべて表面的なものばかりでが、私の宝石は、苦しみを生み出す私の指の接触によって、彼女の魂の奥底から、最も親密な部分から生み出される、苦しみから生れた宝石です。そしてこの苦しみは私の手によって金に変えられ、最も美しい冠、最も素晴らしい衣服、最も香り高い花、最も心地よいメロディーなど、あらゆる種類のものを生み出し、自分の手でそれらを作り出しながら、彼女をもっともっと飾るために飾り続けます。これらはすべて苦しんでいる魂に起こります。だから私があなたにこう言うのは正しくないでしょうか?『あなたにはこの上ない名誉なことです。』」
FIAT!!
みなさんに神様の祝福がありますように
■ ヨハナのひとりごと ■
寄り道しながら、天国の書、第9巻に入りました。
主は度々、苦しみ(十字架)の価値について語られています。
私たちが普通に抱いている苦しみについての認識を覆すような内容です。
苦しみについて私たちは嫌悪するのではなく
感謝しなければならないと思います。
そして感謝できる人になりたいです。
「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。
日本では4巻まで発行されています。
外国のサイトで全36巻読むことが出来ますので、ヨハナの翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘
こちらになります↓
Nos com prole pia, benedicat Virgo Maria.