第7巻 1906年9月11日
神の栄光のために行われないことは、すべて不明瞭なままです。
いつもの状態でいると、私は大勢の中で、赤ん坊のイエスを抱いている自分に気が付きました。
イエスは私に言われました。
「私の娘よ、生きとし生けるもののすべての作品、言葉、思考は『すべてをより大いなる神の栄光のために、すべてをより大いなる神の栄光のために(Gloriam Dei, Gloriam Dei)』という印で封印されなければなりません。そして、この印で封印されていないものはすべて、暗闇に埋もれたかのように不明瞭なまま、汚れたまま、あるいはほとんど価値のないものとして残ります。ですから、被造物は自分から闇や忌まわしいものを引き出す以外には何もできません。なぜなら、神の栄光のために行動しないことによって、被造物はまるで神から見放され、自分だけが取り残されたかのように、自分が創造された目的から離れてしまうからです。神だけが光であり、人間の行動が価値を持つのは神を通してです。さて、被造物が主の栄光のために活動しないことによって、その労苦から何も得られないとしても何が不思議でしょうか?それどころか、自らの暗闇に埋もれ、自らに重い負債を背負い込むのです。」
とても残念なことに、私たちはまるで暗闇に埋もれているかのように、それらすべての人々を見ていました。その苦い思いから祝福されたイエスの気をそらすために、私はイエスを抱きしめてキスをしました。そして彼と遊びたいと思い、私は彼にこう言いました。「私と一緒に言ってください。私はこの魂の祈りに、彼女が私に求めることを認めるほどの力を与える」
しかし、彼は私の言うことを聞こうとはしませんでした。そして私は、一緒にそれを言うように無理強いしたかったので、キスと抱擁を繰り返しました。「私はこの魂の祈りに、彼女が私に求めることを認めるほどの力を与えると言ってください、私と一緒に言ってください。」私は主がそう言ったと思えるほどたくさんのことをしました。そして私は自分の中にいる自分に気が付き、自分の愚かさと狂気に驚いて、恥ずかしくなりました。
みなさんに神様の祝福がありますように