2023.11.17
東京国際フォーラム5012人満席ソールドアウト!
アンコール以降は総立ち。人数や年齢層を考えると凄い。アンコール(+アンコールのアンコール)が、一部・二部より長い夜。2階1列目だったので、1階全体を見渡せるのと、振り返れば広くなだらかな2階席のてっぺんまで。あの光景と一体感を、国際フォーラム規模で生み出せるなんて。いつも2階席を気遣ってくれる千春は一生懸命に上を見て手を振ってくれるので、目が合うような気がしてお得ですね・・。
一見、謙虚の対極に見える松山千春。実際は、謙虚と感謝と思いやりの人。案の定、スポーツ紙には随分と強面な見出しとお写真なのだけど(このスーツ姿の覇王色はすごい)
紅白に決別宣言「あんなNHKごときに」「ガタガタ指図されるような歌手じゃない」
「NHKホール、テレビの小さな箱で歌うよりも、俺は、このコンサート会場ひとつひとつを大切にしたい」という言葉に、わ!ってなった満員の客席。コンサートは一回一回が勝負。お客さんが来てくれてこそ次が約束される。その勝負を47年続けてきた歌い手。客側も何かと大変な日常の合間に、時間やお金や家族の都合をつけて足を運ぶ選択をしてる。その客を絶対に満足させてやるという覚悟と、同じ空間で人生を共有することを何より大切にしてる。それをファンと約束してる千春。だからいっときの祭り的な(しかも呼び物がないという理由で)紅白には軽々しく出られない、というのが真意。「聴いてくれる客が居なければ歌えない」という、言葉にすれば当たり前なんだけど、心からそう思ってる謙虚さ。「コンサートという場をつくってもらってる」という感謝。毒舌でさえあるトークにも逆説的に優しさが表れる。こんな真摯に人の痛みに寄り添えるのかという。あの物言いと顔なのだけど、千春は謙虚と感謝と思いやりの人。
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東京 Spotifyプレイリスト
☆第一部
夜を飛び越えて
旅立ち
時のいたずら
銀の雨
恋
奪われてゆく
純-愛する者たちへ-
☆第二部
君を忘れない
北風 (不動明王の特注ギターで、メンバーとのセッション)
ふるさと
虹のかなた
かたすみで
☆アンコール
長い夜
24時間
季節の中で
大空と大地の中で
☆アンコールのアンコール
あなたが僕を捜す時
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☆第一部
開演前にお寿司(お寿司好きな千春)をつまんで、とびっこ気になりながら『夜を飛び越えて』を歌っていた。2日前の相模大野が尋常ではない大盛り上がりだった、と。一方で、大橋純子さんKANさんと歌手の訃報がつづくなか、「安心しろ、俺は死んでも歌う」と豪語。「一曲でも多く歌っていたい」「死んでも俺は歌うから」と、真顔でしっかり宣言。
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【恩師の話】
まだまだ純粋無垢だった千春19歳。オーディション参加したものの、途中で落選。声を掛けてくれたのがSTVラジオのディレクター竹田さん。『千春のひとりうた』という番組を用意して週2曲つくって発表させるようにした(千春の鍛錬でもあり、後々のために歌のストックを作る目的でもあり、トークを通じて千春の人柄を認知させる意味もあったと思う)。札幌から250キロ離れた足寄から通った。
一年経った頃、竹田さんが「退職金を前借してても」という熱意で千春をデビューさせる。デビュー曲は、オーディションで竹田さんと千春が出逢うこととなった『旅立ち』。1977年1月発売。デビューコンサートが同年8月。8月22日に、竹田さん急逝。亡くなる前日に決めてくれた仕事が、オールナイトニッポン第2部。千春の想いを尊重して北海道拠点のまま、週1で東京に通う(交通手当含)で約束してくれていた。「あれから47年。今も変わらず、北海道からコンサートの旅に出ています」。
デビューほどなくして恩師を亡くした千春。それでもいろんな人が手を差し伸べてくれた。全国「花の小ホールツアー」が始まり、11月には新宿の厚生年金会館。東京で右も左もわからない千春。ギター背負ったまま、入り口もわからない。。「すみません、楽屋口ってどっちですか?」「あっちでねぇか?」と教えてくれた人は、幕が開いたら一番前に座っていた。お客さんだった。
岩手のディレクター北口さんも恩人のひとり。スーパーの肉売り場の横で30分歌えという「びっくりしたぞあれは。あとから知ったんだけど、陽水も泉谷しげるにも同じことさせたんだって。ひとりで30分もたせられるかどうかを試すんだってよ。いや、それでもびっくりするよなぁ・・」
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【縁の話】
小渕元総理の奥様が、楽屋にいらっしゃった。小渕総理とは懇意だった千春。足寄にある千春の実家も気に掛けてくれていた。「千春ー、電話。小渕さんってひと」「母さん、それ総理だぞ」
小渕さん急逝から森総理就任のどさくさに、鈴木宗男さんがロシアへ・・。 「あれが、すべての始まりでした。。」
◆鈴木宗男議員の「モスクワが100%勝つ」発言を怒った
「なんで、”100%”なんて言っちゃうのか・・!」
「宗男さんは宗男さんで頑張ってるんだけどさ・・」と仰いつつ。「東山をなんとか助けてやりたいんだけど、私には私で宗男さんがいるんで・・」。北方4島の人たちは先祖の墓参りも出来ない。漁業の問題もある。
◆東山紀之にエール「なんとかして助けてやりたい」
「ジャニーズの連中は、俺を先輩だと思ってる!(キリッ)」という発言で大爆笑を誘ってしまう千春。
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東京は、関係者・友人知人がいっぱいくる。「コロンビアの社長がくると安心するな」。
ニッポン放送のお悩み人生相談の回答をされてる大迫恵美子さん(弁護士)は、千春の同級生。
「実名で、女房の相談しようかな・・」「俺の女の趣味は、とにかく顔。顔が良ければ身長が2mあってもかまわない。性格、そんなの俺がどうにかする」「女房が一人、娘が一人。なにをやっても不倫になる!!」「そもそも恋愛は、倫理道徳じゃできないんだから。女房との恋愛だけ不倫にならんの、おかしくないか??」屈強理論。
「そしてわかりました、やっぱり性格だと」
このツアーが始まる2日前に、バンドリーダーの夏目さんが2回めの離婚。「なかなか、景気の良いスタートになりました」と千春。。「日本で一番うまいアコースティックギター」と千春が称賛するのは古川さん。3回目の結婚。
『北風』は、千春ギターの刻みで始まる。終わるや、「だいじょぶだった?」(拍手)「速くなかった?」(拍手)「よかった!!」(可愛い)
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【宝塚の問題】
「役員の会見でさ、ご心配おかけしました はわかるよ。でも、”ご迷惑おかけしました”って。あの命を絶った女の子のことはご迷惑だったの?」「言葉一つにも、出るんだよ」。一人の命が奪われた事態の重大さ。強い語気で問題を訴える千春。声がふるえるほどの力説に、客席も静まる。のに、「ヘアアイロン・・」と口にしただけで盛大に笑いを起こしてしまう千春。。千春に対しては、ヘアアイロンと言っただけでパワハラになってしまう。。
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【緊急世論調査】
「緊急世論調査です。髪のあったほうと無くなったほうと、どっちがいい??」
「あったほう!」(拍手!)「ないほう!」(拍手!)
(私個人としては、用法容量をまもって年代ごとの千春をチョイスしたいけど、沼におちたのは千春40チョイの頃なので、ないほう!!)
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【集団就職と御姉さんの話】
集団就職で、御姉さんが東京へ。里帰りして「なんでもあってなんでも便利。夢がある」。ただ、酔った拍子に階段から落ちたまま「痛い、痛い・・」と泣き続けていた。単に身体を打ったとかではなくて、本当は東京で辛くて辛くてもがいてたんじゃないか。千春が声をかけても泣き続けていた。
「姉ちゃん、3年後にぼろぼろになって北海道に帰ってきた。それでも、行かなきゃよかった無駄だった、ではなくて、いい経験ではあったはず」「人は、我慢か、回避が必要なら回避をしながら。やめても、誰も咎めることなんてないしあっても気にしない。経験で成長していく」
「父さん母さん、姉ちゃん弟。松山家は俺に一人になってしまって、いつか俺もそっちに行くけど、そしたらもう一度、5人でやらせてもらえないか」「でも、それまでは一曲でも多く、歌っていたい」「元気な姿で、全国各地で歌っていたい」
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【フォークとは】
「もはや死語になりつつあるけど、”現実”を唄うのがフォーク。生きよう、ここで生きている、そういう歌です」「死ぬこと以外はかすり傷です。どうか、生きてください」「そういう歌だから、俺は紅白に出る歌手じゃない。どこ立ってくださいとかここで踊りが入りますとかな、そんな指図されて歌えるか!」「NHKホール、テレビの小さな箱で歌うよりも、俺は、このコンサート会場ひとつひとつを大切にしたい」という言葉に、わ!ってなった満員の客席。コンサートは一回一回が勝負。お客さんが来てくれてこそ次が約束される。その勝負を47年続けてきた歌い手。「年越しと元旦は北海道じゃなくちゃな!という、私のわがままですよ」ともポロリ。
◆改めて“紅白不出場”宣言 「出なかった方が痛快だと思う」
◆紅白に決別宣言
おとといの相模大野の楽屋にNHK副会長がいらっしゃったことをうけて。
ちなみに、この一連のトーク、アンコールのアンコールという。。アンコールのアンコールで、トークも歌もぶちかまして東京無事完了!!
一部がGucciのドット柄スーツ、二部は黄色いフーディ―をもふっと羽織ってらして可愛かった。。白のタイトパンツ姿に、母が「顔が小さい。足が綺麗。バレエダンサーの等身」と絶賛してて、ああ、私の親だなぁと思った。(頭に気を取られがちだけど、すげースタイルしてる)
イントロや間奏で、千春がメンバーに発破かけにいったり「どれどれ」って煽りに行ったり指揮をしたりするのが好き。これの『人生の空から』の出だしのとことか↓