村川透監督×大野雄二さん×柏原寛司さん | Blog ばったもんのめっけもん

【2019.11.10 伝説の3者対談】
映画監督:村川透、作曲家:大野雄二、脚本家:柏原寛司
各位が偉大過ぎる。そして2者が揃うことは稀にあれど、御三方が並ぶのは何十年ぶりなのだろうか。
自分が真っ先に思い至るのは1978年『大追跡』。

 

 

■村川監督と大野さんの出逢い
・日活映画の時代。お互いに撮影スタジオに出入りしていた
・当時の映画は2本立てだったため、助監督として複数の作品掛け持ち状態だった村川監督
・大野さんは大学卒業と前後し既にゴリゴリのピアニストとして。
・数多くの作品で音楽監督として欠かせない存在の鈴木清司さんも邂逅

 

■大野さんの遍歴と、村川監督との再接点
・1970年代前半にピアニストを休業し、作曲家活動に専念。テレビドラマや映画の劇伴などを手がけ始める(Wikiより)
・1976年、映画『犬神家の一族』の音楽を担当。市川崑監督とはそりが合わず・・
大)「メロディーっぽいのが入ると、もう、すぐにストップがかかっちゃう。音楽ってのを入れたがらない監督」
大)「”もっと、こう、地の底からぐぅあぁあぁっと”」という指示。現場で演奏をしつつ譜面を書き直しながらの録音
 監督に駄目だしされまくった挙句、大野さんがやけくそで灰皿を投げた音が採用されたなどのエピソードは、大野さんの著書に詳しい。
・そんなすったもんだの中でも監督に認められ、リメイク作でも使われたのがテーマ曲。
大)「単にどろどろに怖いってものだけじゃなくて、綺麗な音だからこそ怖い、をやりたかった」
・『犬神家』を筆頭に、角川映画の初期3部作の音楽を手掛ける。潤沢な制作費での大作に関わってるなかで、村川監督から持ち掛けられたのが
 無茶ぶりなほど予算がないオファーだった。松田優作さん主演の『遊戯』シリーズである。
・前者が資金は有れど大作ゆえの制約もあったのと対照的に、後者は制作費がないゆえの工夫と現場の力(アドリブだったり掛け合いで生まれるリズムだったり)が生きていた。LIVEでセッションするかのような撮り方に合わせ、音楽もその場その場の醍醐味を表現することに重点を置いた

そんな御二人に共通するのは、ある意味でJAZZの即興のような姿勢。その醍醐味を積極的に面白がる点で馬が合ったのかもしれない。

・優作さんは文字通りやりたい放題だったが、こうした生まれた映画での象徴的な存在
・予算がないゆえの工夫 一例:
 真っ暗闇のなかで閃光が点滅し銃声が聞こえることで、実際ほぼ無人なのに何人も死んでる
 撃たれて階段から落下した人が、繰り返し裏から上ってまた撃たれてる
 雨が降っちゃったら脚本変更して、あたかも最初っから雨の場面想定だったかのように撮影しちゃう

 

■柏原先生が手掛ける脚本への敬意
大)「「仙元ブルー」と評されるムードある映像に、柏原先生が生む洒落た台詞、これがほんとに良くってね」
大)「ハードボイルド作家は色々いるけど、ああいう言葉はなかなか書けたもんじゃない」

柏原先生、大喜びで「どんどん、どんどん(褒めて)言ってください!!!」

大)「最近のルパンのTVSPもさ、なんで柏原さんじゃないの?って僕、プロデューサーに談判しちゃってるもん」
柏)「TVSPになって、より一層音楽の存在感というか、冴えわたって活性化してますよね」

映画やルパンを通じて、御三方(あるいは二者)の波長がとても合っていた当時の現場。その楽しさがよみがえってくるのが伝わってきた。

 

■お互いについて
監督→大野さん
・日活のころは、まだ映画音楽をホールに演奏隊を入れて録っていた。そんな時代に、彼は本格的なJAZZと即興性を持ち込んできた
・その当時から、絶対一緒に仕事をしたいと思っていた
それが後年の『遊戯』シリーズで実現する

大野さん→監督
・低予算映画の達人(誉め言葉)
・低予算でどれだけ面白いものを撮るかのアイデアがいっぱいのひと。時間とお金をきっちり守る工夫がすごい
・娯楽というものを考えているひと。僕も娯楽が好き

大野さんの「ちゃんとしたJAZZを、分かりやすくやるんだけど、でも本格的にちゃんとやる」という娯楽に対する真摯な姿勢。それは、監督と柏原先生も根幹に大切にしているもの。