阿弥陀如来の本願とは
阿弥陀如来といえば有名なのは阿弥陀如来の本願(ほんがん)です。
阿弥陀如来といえば阿弥陀如来の本願。本願といえば阿弥陀如来、といわれるほどよく知られています。
本願とは、誓願(せいがん)ともいわれます。
最もよく読まれる仏教書『歎異抄』の一番最初にも「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて」とあります。
誓願とは、誓い願われたこと、ということで、お約束のことです。
「誓います」ということは「約束します」と同じ意味で、結婚式の時にも「誓いの言葉」が読まれることありますよね。
ですから、阿弥陀如来の本願とは、本師本仏の阿弥陀如来がなされているお約束、ということです。
弟子の使命は、先生の御心を正確に、一人でも多くの人にお伝えすること以外にありません。
お釈迦様も45年間、自分の先生である阿弥陀如来の本願以外、教えてゆかれなかったのだと、親鸞聖人は断言されています。
十八番(おはこ)は、「阿弥陀如来の本願」が由来
本願とは、お約束、という意味です。
あらゆる仏様は本願を建てておられます。
しかし、阿弥陀如来の本願は、他の仏様とは比較にならない、ずば抜けたお約束ですので、普通、「本願」といえば、「阿弥陀如来の本願」を言われます。
親鸞聖人や蓮如上人の書かれたものに「願」とあれば、「阿弥陀如来の本願」のことです。
京都に本願寺という寺がありますが、阿弥陀如来の本願を説く寺、という意味です。
一口に「阿弥陀如来の本願」といいましても48あり、これを阿弥陀如来の48願、と言われます。
その48のお約束の中で、阿弥陀如来が本心を誓われているのは18番目の本願なので、第18願のことを「王本願」とか「選択(せんじゃく)本願」と言われます。
その人の最も得意とすることを「十八番(おはこ)」といったり、プロ野球のエースナンバーが「18」であるのも、ここに由来しているとも言われます。
ですから、「阿弥陀如来の本願」といえば、通常は18願のことをいいます。
では、阿弥陀如来は本心を誓われた18願に、どのような約束をされているのでしょうか。
漢字36文字で誓われていますが、今の言葉では、
「すべての人を、必ず助ける、
無上の幸福に」
となります。
一人で相撲はとれないように、一人で約束はできません。
約束には必ず相手があります。
アメリカの大統領は、アメリカ国民と約束し、日本の首相は日本国民と約束をします。
私たちが約束するときも、「このメンバー全員と約束するよ」とか「あなたにだけ約束します」と言います。
では、阿弥陀如来は一体、誰と約束をされているのでしょう。
それは「十方衆生(じっぽうしゅじょう)」です。
十方とは、大宇宙のこと。
衆生とは、生きとし生けるものすべてをいいます。
私たちは人間ですから、十方衆生とは、すべての人のことです。
こいつだけは気に入らないから助けてやらないということはありません。
老少・善悪、賢愚・美醜・男女を問わず、すべての人を救いの対象とされています。
つまり、今、このブログを読んでおられるあなたも、阿弥陀仏のお約束の相手なのです。
こんな広い相手と約束をされている仏は、大宇宙広しといえども、「阿弥陀如来」以外には、ありませんから、親鸞聖人は、『正信偈(しょうしんげ)』に、大変弘い誓い「大弘誓(だいぐぜい)」といわれています。
ここだけみても、「阿弥陀如来」が、大宇宙最高の仏様であることがわかるでしょう。
約束で大事なのは内容です。
金銭の貸借ならば、額に当たります。
1000円貸すと約束するのか、100万円か、1億円なのか。
阿弥陀如来の約束の内容は「我をタノメ必ず助ける」という誓いです。
無上の幸福とは、絶対に崩れない変わらない幸福、今死んでいかねばならないとなっても変わらない大安心、大満足の幸せをいいます。
私たちは皆、幸せを求めて生きています。
それも、今日あって明日失う儚い幸せではなく、未来永劫続く幸せを求めているでしょう。
そんな崩れない変わらない幸せ、絶対の幸福にしてみせると誓われたのが阿弥陀如来の本願なのです。
そしてその幸福を手に入れるには、厳しい修行もお布施もいらないのです。
阿弥陀仏の本願を聞く一つで救われるのです。本願成就文とは何か | かとチャンと仏教ブログ (ameblo.jp)
絶対の幸せ者になったとき、「人間に生まれてよかった!」と心の底からの喜びがあふれかえります。
その感謝の気持ちが南無阿弥陀仏のお念仏になるのです。