米山と白山の意外な関係 | がんちゃんの雪山讃歌

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石川の山スキーヤーがんちゃんが登山、山スキーを中心とした日常生活や山への想いをつづります。
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先日登った柏崎の名峰「米山」だが、実は意外な事実が隠されていた。

 

717年に白山を開山した泰澄大師が5年前の712年に米山を開山していたというのだ。

 

米山下山後にネットで米山のことを調べていると、あるホームページが目に留まった。

柏崎で時計店を営まれているトクマ時計店様のサイトである。

そこには柏崎の民話が集められていて、米山にまつわる民話も多く掲載されていた。

 

【参考】徳間さまがまとめられた柏崎の民話。(徳間様から許可をいただいて掲載しています)

 

読ませていただくと目からうろこの興味深い話が数多く書かれていた。

詳細は徳間様のサイトをご覧いただくとして、内容をピックアップするとこんな感じだ。

 

  • 米山を開山したのは白山を開山した泰澄大師と弟子の「沙弥」である。
  • 「沙弥」が泰澄大師に弟子入りした場所は石川の300名山である「医王山」だった。
  • 米山は昔「五輪山」と呼ばれていたが、「沙弥」が米を積んだ船から米俵を五輪山に飛ばした時から「米山」と呼ばれるようになった。
  • 米山は女人禁制だったがしらばを超えて山頂まで登った気の強い「お万」という女性は村人によって川底に沈められた。
  • 一説によると米を積んだ船から供物をもらうために使った鉢が飛んできた場所が能登半島の「鉢ヶ崎」である。

 

こんなつながりがあるとはつゆ知らずただ登りたくて登った米山だったが、意外なところで白山とのつながりが見えてきて運命を感じずにはいられなかった。

 

きっと同じような感じで各地それぞれに山にまつわる民話のようなものが存在するのかもしれない。

機会があればそういったエピソードにも触れていきたいと思う。

 

米山山頂に建っている祈祷殿。泰澄大師もここで修業したのだろうか。

 

ここから先は女人禁制といわれた「しらば跡」。

 

民話に登場するお万はこの先に足を踏み入れて命を落とすことになった。