BOOK REVIEW : 日米開戦 陸軍の勝算  林 千勝 NO.2 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

BOOK REVIEW : 日米開戦 陸軍の勝算  林 千勝 NO.2

 

「山本五十六の大罪」

 

合理的な大東亜戦争の戦争戦略「腹案」の機軸を成す西進戦略を壊したのは、山本五十六連合艦隊司令長官だったのです。

 

このような話は信じられないかもしれません。なにしろ山本長官は,名将ではなく迷将と言っているのですから。

 

しかし、事実なのです。

 

ご存じの通り、真珠湾攻撃は、米国民の戦意を猛烈に昂揚させました。

 

対枢軸開戦と同時に始まる米国の戦争準備を劇的にスピードアップさせ、米国が猛烈な勢いで供給を最大化することを可能にしたのです。

 

「第2段作戦への危惧」

 

「腹案」の2段作戦は、イギリス屈服に重点を置き、ビルマ、インドとインド洋、さらには西アジアを見据えての西進が基本です。

 

昭和17年3月7日、大本営政府連絡会議で,第2段作戦の詳細検討の前提としての「今後取るべき戦争指導の大綱」が決定されました。

 

一.英を屈服し米の戦意を喪失せしめるため、引き続き既得の戦果を拡充して長期不敗の攻勢態勢を整えつつ、機を見て積極的の方策を講ず。

二、三、四、五、六は、省略します。

 

大綱で特筆すべき、いや驚愕すべきは、「一」において、「機をみて積極的方策を講ず」の文言が記載されたことです。

 

この文言は、日本の勝利のためには、決して記載されてはならない代物でした。

 

陸軍参謀本部第一部長田中新一中将が後に次のように回想しています。

 

「陸軍の主張は,開戦直前における連絡会議の判断通り、長期戦争の見地に立ち、この戦争を戦い抜くため長期不敗の防戦態勢を整えようとするにある。

 

インド洋地域を重視し、独伊の作戦に呼応し、機を見てインド・西亜打通作戦を完遂し、戦争終末促進に努めようとした。

 

一方、海軍の主張は、主作戦は終始一貫太平洋正面にあるとの立場に立ち、米国の戦意を喪失させるにあるとして、早期決戦の構想を堅持する。

 

開戦前に予想された太平洋正面における守備的戦略を攻勢的戦略に転換しうべき情勢であるというに帰着する。

 

その方策として、米国の対日反抗の最大拠点である豪州攻略が強調され、陸軍の守備戦略と真っ向から対立した。」

 

山本長官に引きずられて海軍の姿、ひいては日本軍の悲劇が浮き彫りになってきます。

 

「海軍の第一段作戦」

 

4月5日から6日に,セイロン島沖で空母機動部隊によるイギリス東洋艦隊の再撃滅を目指していました。

 

日本海軍は、空母一隻,重巡二隻、ベンガル湾内の商船二十一隻を撃沈するという一方的な勝利を収めました。

 

しかし、結果的にイギリス東洋艦隊の多くをインド西岸やアフリカ東部に取り逃がしてしまいました。

 

「乾坤一擲ドウリットル空襲と、ミッドウエイ海戦の大敗北」

 

日本の西進を止めることを狙った米国の乾坤一擲の陽動作戦・ドウリットル空襲に、山本長官は予定通り誘い出され、あのミッドウエイ海戦の大敗北を招きました。

 

しかも海軍はこの大敗北と壊滅的損害を、陸軍側に長く知らせていなかったようです。

 

「再びのインド洋作戦、ガダルカナル攻防、そして腹案の破綻」

 

昭和17年6月21日、ついにドイツ軍がリビアのトブルクにあるイギリス要塞を陥落させ、エジプトへと突入しました。

 

急遽、6月26日に日本海軍は、再編した連合艦隊を投入するインド洋作戦を決定。7月上旬には、永野軍令部長はフィージー・サモア作戦の中止とインド洋作戦を上奏しました。

 

しかしながら、またしてもここで、山本長官がこのチャンスを逃したのです。

 

連合艦隊に引きずられた海軍は、絶対的な国防圏から遠いラバウルに基地航空部隊を集中。

 

ラバウルから千キロメートルも離れていて連合国側の勢力範囲にあるガダルカナルに進出し7月から航空基地の建設を始めたのです。

 

8月7日、このガダルカナルにアメリカ第一海兵団が突如上陸。

日本は激烈な消耗戦を展開し、多くの搭乗員を含む陸海軍兵、航空機と艦艇、石油を失ったのです。

 

ガダルカナル作戦は失敗であり、その後この損失を回復することは不可能でした。

 

西進戦略はすべて崩壊、日本の戦争戦略は完全に破綻したのでした。

 

そして太平洋戦争という地獄へと転落させ、大東亜戦争を遂行不能に陥れたということです。

 

「秋丸機関の不都合な真実」

 

帝国陸軍が科学的・合理的であり高度で正確な認識を持っていたことは、日本を不当に侵略した米国にとって不都合な真実です。

 

戦後レジームにおけるレッテル「大東亜戦争は、日本陸軍が無謀な戦争へと暴走したもの」が成立しなくなるからです。

 

「陸軍省戦争経済研究班」の真実の物語は、戦後のGHQ支配下で完全に歴史から抹殺されました。

 

山本五十六は、アメリカのスパイであったという説もあります。

 

筆者は、これを否定する材料を持ち合わせていません。

 

20歳代のアメリカ駐在中、あるいは30歳代のハーバード大学留学中に、ハニートラップなどをきっかけに取り込まれていたのでしょうか。

 

近衛首相は、近衛第一次内閣の要である書記官長(現在の官房長官)に風見章という共産主義者を抜擢しました。

 

風見章は、山本や米内光政と親友でした。

 

風見と山本は手紙のやり取りをしていましたが、敗戦後間もなく風見はそれらの手紙を庭で焼却したことを風見の長男が見ていました。

 

風見は、山本への手紙を長男に運ばせていました。どんな内容なのかは永久にわかりません。

 

交流の詳しいことは、「近衛文麿 野望と挫折」に載っています。