【昭和天皇の87年】
熾烈を極めたソ連軍の砲撃 関東軍は完全に不意を突かれた
関東軍最後の戦い(1)
中国黒竜江省虎林市の郊外、中露国境のウスリー河を望む丘陵の地下に、約80年前につくられた巨大なコンクリート建造群が今も残る。
虎頭要塞-。
第二次世界大戦の直前、まだ物資が豊富な時代に4年余の歳月をかけて完成した、関東軍の地下要塞だ。
猛虎山、虎東山、虎北山、虎西山、虎嘯(こしょう)山、平頂山の6つの陣地で構成され、主陣地猛虎山の地下数十メートルには鉄筋コンクリートのトンネル網が縦横に延びる。
大戦初期、要塞には東洋最大の41センチ榴弾(りゅうだん)砲1門、射程50キロの24センチ列車砲1両、30センチ榴弾砲2門、24センチ榴弾砲2門、15センチ加農(カノン)砲6門が設置され、第4国境守備隊8000人がソ連軍の侵攻に備えていた。
だが、戦局の悪化にともない守備兵力の大部分が他の戦線に転用され、終戦直前の昭和20年7月に再編制された第15国境守備隊の兵力はわずか1400人にすぎなかった。
× × ×
同年8月9日午前零時、この虎頭要塞に向けて、戦力十倍以上のソ連軍部隊が突如砲撃を開始した。
その瞬間を、主陣地から離れた地点で警戒任務についていた七虎林監視隊の後藤守少尉が、こう書き残している。
「突然南の方向で異様な光景が起こった。
それは虎頭正面の『ソ』軍陣地から一斉に猛烈な砲撃が始まり遠く闇の彼方(かなた)に幾条かの光芒(こうぼう)が我が要塞に集中している。
生まれて初めて見る壮大な光の束が一方向にウスリー河を越えているのだった」