以前予約販売としてご案内していた
東京大学名誉教授・小堀桂一郎先生による、
検証!東京裁判と昭和史の闇 vol.1
「大東亜戦争への道と消された記憶〜
なぜ、日本人は「負ける戦争」へ追い込まれたのか?」
の講座が遂に完成しました!
なので、
今回はそれを記念し4日間限定の
お得なキャンペーンを実施します..!
1人でも多くの方に歴史の真実を
知っていただきたいので、、
今回に限り半額以下の価格でご提供します!
ぜひこの機会をお見逃しなく!
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※このキャンペーンは9月26日(木)締め切りです
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今から、約70年前のことである。
2種類のアメリカ人がいた。
1種類のアメリカ人は、
最前線で戦った、クロード・イーザリー。
「英雄」と呼ばれたエースパイロットである。
彼は広島への原爆投下の任務に就いた。
1945年8月6日、広島の上空約1万メートル。
原爆を積んだエノラ・ゲイ号とともに
先導機「ストレート・フラッシュ号」が旋回していた。
イーザリーは、このストレート・フラッシュ号
に乗っていた。
彼は天候を確認し、
日本軍から攻撃がないかを調べていた。
敵機は追ってこない。
この日の朝はよく晴れた。
目標地点である橋はくっきり見えた。
「これは理想的な天候だ」
イーザリーは、エノラ・ゲイに
向かって暗号を送った。
「準備完了、投下」
午前8時15分、広島に原爆が投下された。
投下から43秒後、地上約600メートルの上空で
目もくらむ閃光を放って炸裂した。
1秒後には最大直径280メートルの
大きさとなった。
爆心地周辺の地表面の温度は
3,000~4,000度にも達した。
これによって、昭和20年の
年末までに約14万人が亡くなった。
一瞬の出来事だった。
彼は帰国後、英雄扱いされた。
しかし、イーザリーは苦悶していた。
やがて「原爆投下は間違いだった」
と口にするようになった。
なぜ、英雄にまでになったイーザリーは
原爆投下を後悔し始めたのでしょうか?
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ライズ・アップ・ジャパン事務局 林田青哉
PS
後年、英雄となった彼は
アメリカ政府に”狂人”と呼ばれ、、
強制的に精神病院に入れられて
社会から隔離されました。
エースパイロットであり、英雄と呼ばれた
彼がなぜ、社会から隔離されたのでしょうか?
なぜ、アメリカの英雄は"狂人"と
呼ばれるようになったのでしょうか?
そのエピソードこそが、戦勝国が
徹底的に日本を悪者にしたかった理由
の手がかりとなっていました、、
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