佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 638」
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≪(承前)これに対して.日本が内政改革案を出したのならば、それを基礎に調停案を作るのが英国の現実主義である。
後年、日本が満洲に進出しても、日本人が血を流した土地としての経緯を考えて収拾するのも一案というのが英国の現実主義であり、
わざわざステイムソン宣言まで発して、満洲の既成事実は一切認めないというのがアメリカの原則主義である。
他面、アメリカの原則宣言は、実行を伴わない、言いっぱなしであることが多い。
この場合も、アメリカは、本件紛争については厳正中立であり、日本に対するものは、友好的忠告以上のものでないという立場を堅持している。
ということは、何も措置はとらないと初めから宣言しているわけである。≫
この様な“同族?”とみなされているイギリス人とアメリカ人の区分けは、非常に重要であるが、流石に岡崎氏は外交官であるが故に、本質をついた区分けをしている。
不思議なのは、洋上遥か遠方の英国と米国に比べて、“近隣諸国”である、シナと朝鮮については、全く生かされていない処である。
むしろ、近隣諸国であるが故に、何らかの“感情”が入り込み、あばたもえくぼ化してしまうのか?とさえ思う。
尤も戦後のこれらの国に対する日本人の“感情”は、奇妙は贖罪意識に支配されているから、目が曇ってしまっていると言えるが。
≪こうしたアメリカの本質を知っている点では、当時、陸奥に勝る人はいない。
陸奥は、米国政府は日本に対して最も友誼が厚く、好意を抱いてくれている国であり、極東で起きた事件に口をさしはさむことは好まない、とみていた。
「蹇蹇録」でも、「畢竟人間普通の恒心なる平和の希望と朝鮮の懇請を拒みがたかりしとの外、何らの意思を有せざるものたるは明白なり」
(つまるところ、アメリカの警告は、人類の共通の願いである平和への願望と、朝鮮から頼まれて断れなかったことのほか、何ら他意がないことは明らかである)と判断している。
そこでアメリカ・ダン公使には、委曲を尽くして日本の立場を説明して本国に報告させることで、アメリカの干渉にはけりをつけている。
陸奥は、アメリカの国柄としての善意に強い信頼を置いていた。
そして、やがて日清戦争終局時の和平に際しても、他のどの国にも優先してアメリカの仲介を受け容れるのである。
これは、陸奥が、若き折、獄中で世界史を読んで詠じた詩の中にすでに表れている。
「中外六大州の冶乱
上下三千年の興亡
茫々 宇内に義闘なし
強食弱肉 屠場に似たり
読み来りて 瑞気眼底を藹すは
一篇 米国独立の章」
世界の歴史を読んでみると、弱肉強食の争いばかりであり、その間、正義の戦いなどというものは存在していない。
しかし、そうした歴史を読んで來て、はじめて感動を覚えたのは、ただ一つ、米国独立戦争の章であると言っているのである。
陸奥は.知米派であり親米派であった≫
不思議に思うことは、当時のわが国の指導者たちに、「大陸国家」と「海洋国家」の区別と言う意識がどれほど働いていたのであろうか?と言うことだ。
陸奥が、英米に対する本質を的確につかんでいた背景には、日本と同じ「海洋国家」であるという意識が働いていたのではあるまいか?
続いて岡崎氏は、蹇蹇録の第三章「開国以来の悲願成る」の項に入る。
副題は「数々の障害を乗り越えて、不平等条約を改正へ導く」であり、裏表紙には「明治の開国以来、不平等条約の改正は官民挙げての悲願だった。
それが伊藤・陸奥のもとで、日清開戦前夜、達成される」とある。
そして十二、清廷の内紛――李鴻章の苦境に続く。
≪ここで陸奥は、日清戦争時、外交における彼の好敵手・李鴻章の人物月旦を試みる。
【口語訳:簡単に、李鴻章の人となりについて述べてみれば、彼は肝が据わった逸材で情に左右されない決断力があるというよりは、
むしろ利口で奇抜で知恵に富み、その時々の利害得失を考えて判断し、行動するというのが、妥当な判断である。
彼は、平素、外国人に接する時、一般的に清国人が何事にも細々とうわべだけの儀式にこだわって、周囲をうかがって決断しないようなことはない。
いつも勝手気ままに、縛られることはなく、無頓着に言いたいことを言い、行きつくところまで行
くような雰囲気だったので、欧米外国人の中には、彼が世界でもまれにみる大人物だと褒めすぎる向きもあった】
一見、豪放磊落で大人物のようでいて実は気が小さく計算高い人物として見抜いていた。
日清戦争の間の折衝を通じて、李鴻章がしばしば、大胆な決断が出来ず、知略と小細工を弄して事態を取り繕おうとしたために、
陸奥の決断力の前には後手後手に回って、ついに大清国のかじ取りを誤ったのも、やむを得ないことであった。
陸奥の観察眼の犀利さには、改めて感嘆を禁じえない。李鴻章に同乗すべき点があるとすれば、それは清廷内の李鴻章一派への嫉視と内紛だった。
【口語訳:各省に割拠する多年の経験を積んだ大将や役人たちは、李鴻章の勢力が盛んなのをひどく嫌って、かれが新進気鋭の若者を登用して欧風の新しい事業を計画しているのに賛同しなかった。
とくに北京政府の中で、帝の信任が篤いといわれる翁同訴や李鴻藻ら頑固保守党は常に彼を軽侮し、敵視した】
現代の中共政府の内情もほぼ同様だと言うべきか?(元空将)