【知道中国 1681回】――「全く支那人程油斷のならぬ者はない」――(中野1)  | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1681回】           
――「全く支那人程油斷のならぬ者はない」――(中野1)
  中野孤山『支那大陸横斷遊蜀雜俎』(松村文海堂 大正二年)


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 先ず冒頭に掲げられた「緒言」と「外遊の動機」から、本書執筆に至る経緯を探ってみたい。

  「光輝ある四千年の?史を有し、而も廣大なる境土を以て世界に卓絶し」、「五億の生民を有し、堂々たる一統國を形成し」、

 

「天然の沃野壤土を以て天下に目せられ、天然物の豐富なるを以て世に誇れる」中華民国であればこそ「世界各国に羨望せらるる」。

 

 

支那四百餘州の死活を制し、世界の運命を左右せんとするものは、中原貫流の揚子江」である。

 

 

「世界潮流の現況を達觀」すると、「英米佛獨諸強を始め、其の他の列國が、此所の活動飛躍を競ふこと頗る熾」しい。

 

 

それというのも「實に世界的殖産興業の中樞は、此の流域に存す」からであり、それゆえに「世界の大事業は、近き将來に於て此所に一大發展を見るべし」。

 

 

世界経済の将来を左右するは「此の流域」とは、なんとも示唆的で刺激的な主張だ。

  そんな揚子江流域において「天富の豐饒なる點に於て其の最も優勢なるものは、往昔の巴蜀、現今の四川省なり」。

 

 

だが、そこは天然の要害に囲まれた「噫交通至艱!!! 噫交通至難!!!」の地であり、他地域との交流が困難であることから、「充分の發達を見るに至」っていない。

 

 

それゆえに「中華民國が常に各國の侮りを受くる」のである。

 

 

これこそ「噫豈一大耻辱と謂ぶべ」きだ。

東洋啓發を以て天職とする我が日本」は、「渠と土壤を接すること最も近く」、「其の人種」「其の文字」を「同ふする」がゆえに、「之が啓發の義務」を持ち、

 

 

「東洋の平和を永久に保維し、相提携して倶に共に富強を期せんとする」。

 

 

「啓發の義務」を負う日本人であればこそ、「中央支那の事情を知るは、現時の急務」といえよう。

中野は四川省総督・錫良が教育振興のために募集した「教育家の招聘撰擇」に応じ、「奮然決起し身命を抛ちて、此の寶庫の一端を開き、聊か國恩に報ひん」として、

 

 

広島県立中学校の職を辞し、「家族は東都に遺し、挺身行李を携ひ、生國を後にし」て、「崑崙の麓、長江の源、遠く成都(蜀)の地に赴くこと」になった。

 以上から、「東洋啓發を以て天職とする我が日本」の立場から「世界各国に羨望せらるる」はずながら「常に各國の侮りを受くる」中華民国を眺め、同文同種・一衣帯水の関係にあるゆえに中華民国を「啓發」することは日本に課せられた「義務」である。

 

 

その「義務」を全うし、「東洋の平和を永久に保維し、相提携して倶に共に富強を期せんとする」という中野の決意を読み取ることができそうだ。

 

 

これは中野だけが抱いたというより、当時の日本における前途有為な若者の間にみられた考え、敢えていうなら素朴極まりないアジア主義といえるのではなかろうか。

 さて中野は、「玄海の荒波を渡り、渺々、茫々たる大洋に浮んで、東洋のパリーと目せらるゝ上海」に上陸するのだが、

 

 

「客は上陸の準備に取亂れ、實に雜踏を極める。

 

 

此時が實に油斷のならぬ時で、少し注意を怠れば重要な荷物の行衞を失ふといふのである」から、安閑としてはいられない。

四囲を見ると苦力、苦力、苦力である。

 

 

彼らの「風習と來ては、一目してぞつとする。

 

 

手も足も垢で特別の皮膚を作り、腫物が全身に滿ち、襤褸を纏うて、ノソリノソリと、客室をのぞき廻り、或は客膳の殘肉をハキダメから探し出して、舌打鳴らしてゐる。

 

 

其の不潔さを見ては誰しも一驚せぬものはない」。

 

 

「蓋し華人は、不潔を意とせず、大小便は所きらはず、鼻汁を無暗に何所へでも摺りつけ、喀痰を無暗にするからであらう。

 

 

其の不潔さ推して知るべきである」。

 そんな彼らと、どうやって「相提携して倶に共に富強を期せんとする」のか。
《QED》