佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 633」 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 633」

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≪(承前)六月二日に派兵を決定するとともに、日本牧府は今後の方針を決め、その中で「努めて第三国との関係を生ずるを避くべし」と決定したが、そう決めても、外国の側から干渉してくることは避け難かった。

 朝鮮は、日本の出兵に驚いて、何とか撤兵してほしいので外国と見れば誰にでも干渉してくれと頼むし、清国は、日本に機先を制せられた状況では、朝鮮半島で軍事衝突するには形勢が悪いので、何とか大国の圧力で日本兵を撤兵させようとする。

 

 

英米露の干渉は、いずれも清国が朝鮮からの強い要請によるものだった。

しかし、イギリスやロシアのような大国は、こうした要請がなくてもいずれは干渉してきたであろう。

 時は、一九世紀の帝国主義の真っただ中である。

 

干渉するということは、国家の権威であった。

 

 

世界のどの一隅であっても、俺に断りなく、勝手なことをしてもらっては困るぞ、という意思表示のためだけでも干渉をする。

 他方、どうせ干渉は来るのだとしても、第三国が言ってきたことを全部、真剣に取り上げなければならない、というものでもない。≫

 ここに、岡崎氏の長年の外交官としての知識と手腕が凝縮されている。

 

 

外交交渉と言う、“大博打”の裏を確実に理解しているのである。

 

 

その底には、外交であれ戦争であれ、所詮は“人間”と言う生き物の知恵で動いていることを熟知しているからだろう。

 

 

つまり、如何に人間と言う生き物を通じて、外交交渉と言う一見血の通わない動きの中に横たわる真実を見抜いているか、なのである。

≪たとえば、普仏戦争初期に介入の機会を逸した英国は、プロシアの予想外に速やかな勝利を見て、プロシアがフランス領土の割譲を求めるのには反対だと干渉して来る。

 

 

しかし、もう大勢が決してしまった後なので、プロシアはこれを拒否し、アルザス・ローレンを手に入れるが、英国は何も言ってこない。

干渉してきた真意は何か。単に一言、言わざるを得ないと言うだけなのか、それとも、あくまでも介入を貫く意思があるのか、またそのための軍備はあるのか、まで見極めなければならない。

すなわち、相手とのやりとりの中に、相手の意思の強さを計り、また戦備の状況をよく観察して、介入を押し通す能力があるかどうかを読み切らねばならない。

 ここでこそ、陸奥の判断力と手腕が遣憾なく発揮されるのである。

 

 

開戦外交では、陸奥は、干渉を排除してよいと読み切って、開戦した。

 

 

そして、後の三国干渉の際は、今度は本気と読んで撤退した。

 

 

この判断は、歴史的にいずれも正確であった。

この比類ない正確な陸奥の読みが、大日本帝国の興隆の出発点となるのである≫

 さらに言うならば、“人間学”に加えて、世界史にみられる過去の外交を如何に理解しているか、が大きく左右することもわかる。

 

 

岡崎氏は、この事例を“普仏戦争”の教訓に結びつけている。

 

 

軍人が、過去の“戦史”に学び、教訓を生かそうと

するのも外交官同様、同じ考えから出ているものである。

 

 

やはり過去の“戦”に学んだ伊藤や陸奥のような行動は、現代、とりわけ“敗戦で軍事を無視した”政策になじんでしまった現代人には無理なのかもしれない。

≪さて、干渉の端緒はロシアから開かれた。

 

 

李鴻章が北京でロシア公使に調停を懇請したのを受けて、駐日公使・ヒトロヴォーが陸奥に面会を求めてきた。

 ヒトロヴォーは、ロシア政府は日清間の紛争が速やかに解決されることを望むと述べ、日本政府に対して、清国が朝鮮から撤兵すれば日本も撤兵することに合意するか、と質問してきた。

 

 

これに対して陸奥は、「お考えはごもっとものようであるが、従来、清国は、陰険な手段で朝鮮の内政に干渉して日本や朝鮮を欺いてきた経緯があり、日本が清国の言うことを信用しないのも根拠がないことではない。

 

 

したがって、もし、清国が共同で朝鮮の内政改革に当たるか、あるいは日本が独力で改革するのを妨害しないか、いずれかの保証を与えたうえで撤兵すれば、日本も撤兵する」と返事をした。

 閣議で、第三国の干渉排除の方針を決め、また、清国が合意しない場合は、日本独自で朝鮮の改革を推進するところまで方針を固めておいたのが、ここで生きて来ているのである≫

 これも外交と軍事によく用いられる“ブラフ行動”である。

 

 

今問題になっている北朝鮮の“常軌を逸した行動”もそれである。

 

 

それをどう見破るかは、一にそれに対処できるだけの“軍備”を持っているか、いないかにかかっている。

 子犬に吠え続けられている米国が、今後どう出るかは見ものである…。

≪ここで、ロシアは日本の決意が相当に固いと見て、ヒトロヴォー公使は改めて公文を携えて来た。

 

 

その概要は、「朝鮮政府は、同国の内乱既に鎮定したる旨、公然同国駐在の各国使臣に告げ、また日清両国の兵を均しく撤去せしむることに付き該使臣等の援助を求めたり。

 

 

よって露国政府は日本政府に向かい朝鮮の請求を容れられんことを勧告す。

 

 

もし日本政府が清国政府と同時にその軍隊を撤去するを拒まるるにおいては、日本政府は自ら重大なる責に任ぜらるべきことを忠告す」

 

 

(朝鮮政府は、同国の内乱がすでに鎮圧されたことを各国駐在公使に告げて、日清両国が互いに撤兵することを求めている。

 

 

ロシア政府は、日本政府に対して朝鮮の要求を受け容れることを勧告する。

 

 

もし、日本が同時撤兵を拒否する場合は、日本政府は自ら重大な責任を負うことを忠告する)という厳しいものであった。≫

 駐日公使・ヒトロヴォーの陸奥との面談は、剣道で云えば最初の「竹刀合わせ」であった。

 

 

竹刀を交えて相手の出方と実力を探るのが目的である。

しかし、ヒトロヴォーは、陸奥の背後には「閣議で、第三国の干渉排除の方針を決め」ているという確固たる日本政府の方針があったことを見抜けなかった。

 

 

ロシアが得意とするブラフは失敗したのだ。(元空将)