樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1616】
――「獨乙・・・將來・・・無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」(山川6)
山川早水『巴蜀』(成文堂 明治42年)
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ドイツ語の綴りが通じないのなら、取りあえずは英語式で済ませておこう、というのだろう。
こうして消費者の動向に臨機応変に対応するドイツ・ビジネス戦略を、山川は「其敏、稱すべきに非ずや」と称賛したうえで、「需要には廣狹多少の別あれども、既往に於て(現地消費者より)収めたる愛着心と信用とは、将來に及ぼして、無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」と見据えた。
なにはともあれドイツの成功は、「獨乙が眞面目なる研究の結果に外ならず、歩を進めて考ふれば、善く詳に身を需要者の側に置」いているからだ。
ドイツがこういった行動・判断ができる背景には何があるのか。どうやらドイツ人は「主として在留の官商間に於て油斷なく注意を払ひ居るものと覺江らるなり」と推測してみた。
これを現代風に言い換えるなら、成都在留のドイツ官民が共同し現地における消費動向を抜かりなく観察し、ビジネスに生かしているということだろう。
ここで山川の視線は同胞商人の行動に転じた。
「本邦人の多くが物物しく視察とか研究とかに出懸け、上海、漢口、北京、天津と紳士旅行の素通りしたとて、何の功か之有らん」。
モノモノしいばかりで通り一遍の「紳士旅行」なんぞは、やはり昔も無意味だった。
そのうえに「上海天津等に居留する本邦商人は、數字の上にては數百數千を以て計へんも、其中の少數を除けば、大抵共喰商人に屬」するばかり。
一等地に大きな看板を掲げ表向きは派手な振る舞いをしているが、ビジネスの内実は心許なく、同胞による陰湿な足の引っ張り合いが常態化している。それは21世紀初頭の現在も大差はなかろう。
ここで山川は四川における日本ビジネス不振の原因に思い至る。
「余(山川)は商業に於て門外漢なり、然れども、旅行及び在留の間、これは必ず當らん、これは必ず向かんと思ひたるもの十數目にして止らず」。
だから専門家が「仔細に觀察したらんには、無盡蔵の利源を發見せん」。
加えて地理的にも歴史的にも欧米より有利な立場にあるにもかかわらず、日本製品の販路が広がる気配がみられない。
やはり官民共々に日本側は努力が足りないのだ。かくて「余(山川)は資本の缺乏を以て專ら之が辨解の辭となすを許さず、余を以て觀れば、我國官民を通じて、之を思ふに精ならず、之を行ふに實ならざるに由るとなすものなり」となる。
「本邦品は從前曾て諸種の雜貨、成都に輸入せられしが、價格割合に低廉なりし爲め一時は隨分捌けたるども、品質の脆弱は、直に彼等の排斥するところとなれり」。
それでも「名古屋製置時計、大阪洋傘」などは一定の販売量を保持しているが、単なる見てくれから売れているだけ。
本格的に「品質堅牢」「耐久力」を問われたら、将来的に「能く今日の聲價を維ぐ」ことはない。
最悪の場合、ドイツ製品に圧倒されてしまうということだろうか。
加えて日本商人は「支那向として、特に粗質品を擇べる」傾向がみられる。たとえば「四川の某縣なる一學堂が、東京より購入したる博物標本」だ。
日本から到着した梱包を解いてみたら、「支那行不良品と書せる附箋を發見せり」というのだ。
この学校に務める日本人教師が発見したから「無事に濟みしが」、かりに現地の教師や生徒の目に触れでもしたら必ずや「由由敷大事」となったはず。
じつは「此件は曾て在留人の某氏が日本新聞に掲けたるところなれども、余は再びこゝに附記して、後來を戒めんと欲するなり」と念を押す。
中華ナショナリズムに火を点け、日貨排斥運動を招きかねない。無神経にもほどがある。]
かくして山川は「之を要するに、成都に於ける日本商品は當初に一頓挫を招きてより、今日に至るまで回復する能はざる状態に在りといふべし」と結ぶ。無反省なのか。
《QED》
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