「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016)3月7日(月曜日)
通算第4842号
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あのディビッド・シャンボー教授の新作『中国の未来』(本邦末訳)
崩壊の扉が開いた。経済繁栄の継続は党改革でしか達成できないだろう
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ディビッド・シャンボー教授はパンダ・ハガー(親中派)の代表選手として、キッシンジャーやエズラ・ヴォーゲルの仲間だった。
ところが、ある日、一転して中国批判派に転じた。
そのシャンボー教授が新作を出した。題して『中国の未来』。
要旨は時代遅れの諸規制を緩和し、改革を促進しない限り、国家を統御するパワーが失われ、権力の座は安泰ではなくなるだろう、とするもの。
換言すれば中国共産党は崩壊の道を歩むしかない、ということである。
この新作で展開されている未来予測に、とりわけ目新しさはないが、チャイナウォッチャーのなかの親中派の転向を象徴する論客だけに、むしろ中国国内、中国語圏で話題となっている。
習近平の側近政治は、「『太子党』から人材を集めたかにみえて、じつは習近平が福建省、江蘇省時代にともに取り組んだ仲間、部下から有能な人材を周囲に固めた。
このスタイルは上海派を寄せ集め『江沢民幇』を形成した江沢民、団派から逸材を引き抜いた胡錦濤時代の『団派』という派閥とまったく異なっている」とシャンボー教授は書き出した。
「中国はいまや萎縮と衰退過程にはいった」
「おもいきった政治改革が実現しない限り、この趨勢はつづく」。
「中国共産党は幕引き段階にあり、政治システムは破綻しはじめており、習の専制は中国の制度と社会を破壊へと導くだろう」
「こうして終末に起こりうる暴動、騒擾が顕著にあらわれるようになった」
つまりクリントンが「経済だ。愚か者め」といったように、中国が繁栄を持続させようと本気で考えているのなら、それは「政治体制だ、愚か者め」ということになる。
▼中産階級の罠
おおくの新興国が陥ったように「中産階級の罠」にはまった中国は、構造不況が長引き、いずれ古びた発展理論や不動産政策の下で、国有企業は市場原理に傾き続けるだろうが、
いまや共産党独裁の疲弊が表面化し、改革へのピッチは上がらず、したがって権力の維持は不可能となる
シャンボー教授は1998年から2008年までの主として胡錦濤時代に行われた諸改革の成果をいくぶん評価しており、それが党の締め付け強化、人権無視、言論弾圧、人民の抗議活動弾圧という強硬路線に転換して、社会的混乱が以前よりひどくなった08年以後に中国に失望したのである。
軍事パレードを目撃した教授は「なぜ人民のための軍が、これほど厳重な警戒のもとにパレードを挙行するのかと疑問を呈した。この軍隊は人民のためではないからである。
しかし結論的にシャンボー教授は一縷の望みをもっている。
それは第十九回党大会で、おそらく習近平はリベラルな、改革派の政治家を登用するだろう。
むろん再任が明らかな李克強・首相をはじめ、王洋・副首相と李源潮・国家副主席らを重宝する人事を予測する。
「でなければ習近平は独裁政治に舞い戻り、中国に暗い未来に突入するしかない」。
日本では多くのチャイナウォッチャーによって出尽くした議論をシャンボー教授が何をいまさらという感無きにしも非ずだが、中国で一時厚遇されたパンダハガーのかような転向振りが問題なのである。
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◆書評 ◎しょひょう ▼BOOKREVIEW ●書評 ▽
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加賀藩の漢学者だった橋家の人々が三島に与えた影響
これまでの三島伝記がおよそ軽視してきた大きな存在
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岡山典弘『三島由紀夫の源流』(新典社)
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三島由紀夫の本名は平岡公威(きみたけ)。したがって猪瀬直樹の伝記『ペルソナ』にしても、多くの文学評伝にしても、平岡家の先祖をたどって樺太庁長官、あるいは幕末の官吏・永井玄蕃あたりまでは遡及しての考察が多いが、母親の先祖、とくに祖父母と「金沢の橋家」にまで溯っての論究は、わずかに村松剛『三島由紀夫の世界』の冒頭部分だけだったように記憶する。
本書で、岡山氏はこの母方の先祖、橋家の成り立ち、その家柄、家風、学問に溯り、じつは橋家の人々が、三島に強烈な影響を与えたことを実証している。その意味で画期的な労作なのである。
嘗て、この所論が鼎書房の『三島由紀夫研究』に初めて現れたとき、注目して紹介文も書いた。そのうえ『憂国忌』の特別附録に、この論文を添付したので、あるいはそのときにお読みになった読者がいるかもしれない。
本書はこれに加筆した定稿となる。
三島が金沢を舞台にした作品は『美しき星』で、これは映画になるそうだが、評者(宮崎)は金沢生まれなので、その風情を鷲づかみに、しかし繊細に表現する描写を思い出させてくれる。
そして『金沢の橋家』がキィワード、つまり藩の漢学者だった橋建堂とその息子の橋建三、その思想、学識、文芸運動の数々が娘のしづえに伝わった。しづえは、言うまでのないが、三島の母親である。
橋建三は「開成学園」の生みの親であり、ここから伊部恭之助(住友銀行最高顧問)らが育った。平岡梓も開成で橋に教わっている。
したがって橋家の人々への考察は、三島研究者のあいだでもっと重視されてしかるべきであろう。
本書にはほかに評者がまるで読んだことの無かった、三島をモデルとして小説が、エッセイがこれほど夥しくあることを知らなかった。
(それにしても岡山さん、よく読んでますねぇ。だからこそ『三島由紀夫外伝』などの作品もできたのでしょうが。。。)
中曽根首相を「鉋屑(かんなくず)のように軽い」と辛辣に評した平林たい子の三島論も辛辣である。
最近、三輪太郎が三島とカラジッチを結びつけた『憂国者たち』をいう小説を書いた。
およそ三島の対極にいると考らられてきた中上健次が、じつは安部公房や大江健三郎より、三島にシンパシーを感じていると発言していることも初めて知った。
くわえて渋沢龍彦、京極夏彦らの小説にも三島とおぼしき人物が登場する。さらに名前の知らない作家らの作品をじつによく岡山氏は精読している。
ほかにも村上春樹、島田雅彦、荒俣宏、武田泰淳、吉行淳之介といった人々が三島に関して意外なことを書いていた。
三島ファンには欠かせない一冊となった。
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