南丘喜八郎 月刊日本  【巻頭言】一誠兆人ヲ感ゼシム | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。





南丘喜八郎 月刊日本  【巻頭言】一誠兆人ヲ感ゼシム

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 安政六年(一八五九)五月十四日、野山獄に在った吉田松陰に、公の筋から生きて再び還ることのない江戸檻致の命が下った。松陰は毫も愕くことがなかった。


江戸の法廷に於いて、至誠を尽くして尊攘の大義を説き、幕政転換に役立てるべき機会が到来した、と思ったのだ。

 江戸送りを前にして、松下村塾の門下生に次のように書き残した。

 「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり

 吾、学問すること二十年、齢もまた而立(三十歳)なり。然れども未だ斯の一語を解すること能はず。今茲、関左の行、願わくは身を以て之を験せん。乃ち死生の大事の若きは、姑くこれを置く。己未五月」

 松陰は既に一死を覚悟しながら、生死の問題は暫く棄て措いて、この語(至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり)の真実であるか否かを身をもって実験しようというのである。


一切の根本は至誠にある。我が身に反省して至誠に恥じるところなきか、ここに松陰の生涯を一貫する精神があった。さればこの松陰の至誠は、下田の獄に在った時も、その獄吏を感動させずには措かなかった。野山の獄にあって、絶望に瀕している同囚を感奮させたものも、この至誠であった。(近藤啓吾著『講孟箚記』)

 同年五月二十五日未明、松陰は腰縄を打たれ護送の駕籠に乗り、梅雨降頻る萩を出発した。一ヵ月後の六月二十五日、松陰は江戸長州藩邸に着いた。


七月九日奉行所に呼び出され、愈々、松陰が孟子の謂う「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」を実践に移すべきときがきたのだ。以下、松陰の遺書『留魂録』より引用。

 〈七月九日、初めて評定所呼び出しあり。三奉行出座、尋鞠の件両条あり。一に曰く、梅田源次郎(雲濱)長門下向の節、面会したる由、何の密議をなせしや。


二に曰く、御所内に落文あり、其の手跡汝に似たりと、源次郎其の他申立つる者あり、覚えありや。此の二条のみ。


夫れ梅田は素より奸骨あれば、余与に志を語ることを欲せざる所なり、何の密議をなさんや。吾が性公明正大なることを好む、豈に落文なんどの隠昧の事をなさんや。


余、是に於て六年間幽囚中の苦心する所を陳じ、終に大原公の西下を請ひ、鯖江侯を要する等の事を自首す。鯖江侯の事に因りて終に下獄とはなれり。〉

 幕府を諫めようと決意した松陰は、嘉永六年以来の国策について、誠を尽して自ら信ずるところを陳述した。実に命を賭して「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」を実践したのだ。

 残念ながら、松陰の諫言は幕府の容れるところではなかった。尋問が全て終り、奉行は彼を流罪に当ると判断し、老中に報告したが、大老井伊直弼は「流」の一字を削って「死」と書き直した。

 松陰はかつて「心交不面の友」であった僧黙霖宛ての手紙にこう記していた。

 〈若し此の事が成らずして首を刎ねられたればそれ迄なり。若し僕幽囚の身にて死なば、吾必ず一人の吾が志を継ぐ士をば後世に残し置くなり。子々孫々に至り候はばいつか時なきこれなく候。今朝の書に「一誠兆人を感ぜしむ」と云ふは此の事なり。〉

 松陰は代表的著作『講孟箚記』の冒頭で「経書を読むの第一義は、聖賢に阿らぬこと要なり」と記した。

 仮令、孔子や孟子など聖賢であろうと、決して阿ってはならぬ。相手が聖賢や権力者であっても、間違いは厳しく指摘し、諫言するのが、「士」たる者の役割であり、使命ではないのか。松陰は身を以て、それを示した。



 第二次政権を担当して一年有半、圧倒的な多数議席を背景にした安倍政権に驕りが見え始めた。同時に言論人の権力者への阿諛追従が目に付く。


某国立大学名誉教授は保守系月刊誌に「正々堂々と中国と対決 安倍総理大宰相への道」と題して、「長期政権を築いた中曽根総理、小泉総理であっても、世界は誰ひとり、大宰相とは認めなかった。


だが、安倍総理は、吉田、岸に並ぶ大宰相になりつつある」と記す。著名な女性評論家も保守系新聞紙上で「中国の脅威に直面し集団的自衛権行使の新憲法解釈を閣議決定した安倍首相の政治、外交にはみずみずしい力が満ちている。


閣議決定後、初の外遊先となった豪州を含む3カ国での安倍首相の姿は、絶えて久しくわが国のリーダーが失っていた自信に満ちた姿だった」と記した。

 時の権力に対して、「一誠兆人を感ぜしむ」と信じ、命を賭して諫言した吉田松陰。一方、権力者に群がって阿り、追従する政治家や言論人たち。我が国の前途に暗澹たる思いを禁じえない。

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