奥山篤信 映画評 ポルトガル映画「熱波 TABU」2012 | 護国夢想日記

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奥山篤信 映画評 ポルトガル映画「熱波 TABU」2012
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僕の造語「辺境映画」とはハリウッドや欧州の映画立国フランス・イタリア・ドイツ・英国以外の例えばポーランド・デンマーク・中欧・トルコ・イランなどに素晴らしい映画が存在することを意味するが、現在104歳の現役マノエル・ド・オリヴェイラ監督のポルトガルもその一つであり、今回俊英ミゲル・ゴメス監督も例外ではなく醍醐味を堪能させてくれた。

同じイベリア半島で同じラテン系言語でもスペイン語とポルトガル語の響きは雲泥の差がある。国柄も陽気で楽天的なスペインと比べポルトガルはその言語の暗い響きと同様あの音楽ファドに見られるような哀愁が漂っているのだ。

この映画は第62回ベルリン映画祭に出品された映画でthe Alfred Bauer Award (Silver Bear for a feature film that opens new perspectives) を受賞した。そして The International Federation of Film Critics (FIPRESCI) にても受賞雑誌 Sight & Sound film magazine において2012年映画のベスト2にリストされた。

最期の時を迎える老婆が薄れる意識のなかで想う「最後に一目、会いたい人。」、まさに50年の歳月を遡り、映画は二人の男女の純愛の不倫とその背景のアフリカの四角関係と殺人事件を描き第一部と第二部からなる。第一部がやや退屈であるがここは辛抱してもらいたいものだ。 ちょっとはしょるために公式サイトから物語をそのままコピペする。


第一部「楽園の喪失」
ピラールは定年後の数年間、世界を真っ当にしようとしたり、他人の罪に向き合ったりして、過ごしているが、ここ最近はそれによってストレスが溜まっている。平和の祈りに参加したり、カトリックの社会活動団体に協力したりする彼女はリスボンでのキリスト教集会のためにやってきた若いポーランド人女性を家に宿泊させようとして、迎えにいった空港で、泊まるのを拒まれたり、家に遊びに来るかもしれない友人に気を使って彼が描いた醜い絵を掛けたり下したりするのだった。


彼女はまた、孤独な隣人・アウロラに悩まされている。アウロラは短気でエキセントリックな80代の老女だが、お金ができればカジノへ入り浸り、会ってはくれない娘の話を常にしてくるのだ。抗鬱剤の後遺症を持ち、カーボ・ベルデ出身のメイドのサンタが自分にヴードゥーの呪いをかけていると疑っている。サンタは、ほとんど喋らず、命令に従い、他人には干渉すべきではないと考えている。


ある時、病に倒れたアウロラは、ピラールとサンタに謎のお願いをし、二人はそれを叶えるために奔走する。既に長くは生きられないことを悟ったアウロラは、消息不明のベントゥーラという男に会いたいと言い出したのだ。ピラールとサンタは彼が生きていることを知るが、彼はもう正気ではなかった。

ベントゥーラとアウロラには、ある約束があったのだ。それは、ポルトガル植民地戦争が始まって間もない50年前に起きたこと。彼は語り始める。「アウロラはタブー山麓に農場を持っていた…」

第二部「楽園」


アウロラの父親は、アフリカで事業を起こそうとポルトガルを出てタブー山麓にやってきたが、若くして脳卒中に倒れた。母親は彼女を産んで直ぐに他界していた。一人残った彼女は、お手伝いと家庭教師と共に暮らし、夢見がちな毎日を過ごしていた。大学の卒業パーティーで夫と出会い結婚、何不自由ない幸せな生活を送っていた。


しかしある日、流れ者的にアフリカにやってきたベントゥーラと出会うと、彼女の心の奥底にあった冒険心の炎が燃え上がる。またベントゥーラも一目で彼女の魅力に惹かれ、夫がいる彼女の虜になってしまう。こうして、どうにもならない情熱にせき立てられ、禁断の物語が幕を開ける…。


 とにかく第二部は35ミリのモノクロで無声映画ただし物音や銃声だけは響く。白黒だからかってのアフリカの植民地の 雰囲気がレトロ的に楽しめる。ワニを小道具として使い、富豪の夫ある妻アウロラ、ホモの愛人がいる若い男ベントゥーラの純愛である。

  夫の子供を身ごもった アウロラとの不倫それは肉欲から本物の純愛に昇華(いや聖化といってもよいかも)されていく過程、一旦別れたが再会し今度は駆け落ちまでするが、そこに男 のホモ相手の嫉妬と妨害があり、アウロラは射殺してしまう。それはまさにアウロラの出産の日であったが純愛だからこそ、ベントゥーラは自分が射殺犯である こと、アウロラを誘拐したことで罪を背負う覚悟で夫を呼ぶのだ。

  自分の子供でもない子が出産かつ夫に殴られまさに惨めだった男は完全に彼女と別れ一人旅に 立つ。すべてナレーションで二人の間のラブレターでつづるこの映画の発想の豊かさは舌を巻くものだ。


  まさにカトリックの二人の赦されざる恋、罪の深さを認識しつつ、それでもなお愛する美しくやるせない愛!を堪能した。