編集委員・田村秀男 「白川日銀」莫大な負の遺産
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国会承認手続きが順調に行けば、3月20日には黒田東彦(はるひこ)日銀総裁が誕生するが、新総裁に引き継がれるのは白川方明(まさあき)総裁が築き上げた莫大(ばくだい)な負の遺産である。いったい、「白川日銀」とは何だったのか。
日銀生え抜きの理論家、白川氏は京都大学教授時代(2006年7月~08年3月)を除き、独立日銀の政策決定に深く関わり、日銀が理想とするインフレ率ゼロ%以下を達成してきた。
いわば白川氏は「15年デフレ」の立役者で、本人もそのことを矜持(きょうじ)としているフシがある。
昨年秋、安倍晋三自民党総裁が登場して日銀への大胆な政策転換を求め始めたとき、白川総裁は「後世、日本の金融政策を振り返った歴史家は、1990年代後半以降の日本銀行の金融政策が如何(いか)に積極的であったか、大胆であったか、あるいは革新的であったかとみると思います」(11月20日の記者会見)と言い放ったのである。
「積極的」を「消極的」、「大胆」を「臆病」、「革新」を「伝統」に置き換えれば白川氏は極めて正しい。2008年9月のリーマン・ショック後、日銀が包括緩和政策なるものを始めたのは実に2年余後の10年10月で、柱は小口の資産買い入れである。
以来、外部から金融緩和圧力が高まるたびに小出し方式で追加緩和してきた。チリも積もれば山となる式で、ことし末には100兆円を突破する見通しだ。対照的にリーマン後、米連邦準備制度理事会(FRB)は資産を2倍、3倍と短期間で増やしてドル安、デフレ回避、株価回復に成功してきた。
マーケット理論によれば円の対ドル相場の水準は、日銀資金発行残高をFRBのドル資金発行残高で割った値で落ち着く。09年秋、100兆円の日銀資金投入があれば、1ドル=100円が実勢レートになった計算になる。
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