奥山篤信 英国映画『レ・ミゼラブル』(Les Mis!)rables)2012 ☆☆☆☆☆ | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信 英国映画『レ・ミゼラブル』(Les Mis!)rables)2012 ☆☆☆☆☆
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金曜日封切り、

太郎(同志社大学神学部卒 還暦 元全共闘 家庭内粗大ごみ)

花子(太郎を尊敬する外資系キャリアー女性 ミッションスクールを経て 慶應義塾大学卒 ハーバード大学MBA 宗教カトリック)に登場し語って貰おう。その前に

この映画の監督はトム・フーパー(Tom Hooper, 1972年 - )は、イングランド・ロンドン出身の映画監督、テレビドラマ演出家。

配役は
ジャン・バルジャン:ヒュー・ジャックマン
司教:コルム・ウィルキンソン
ジャベール:ラッセル・クロウ
ファンティーヌ:アン・ハサウェイ
コゼット:アマンダ・サイフリッド(幼少期:イザベル・アレン)
マリウス・ポンメルシー:エディ・レッドメイン

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花子:太郎さん初日に付き合って貰ってありがとう

太郎:そら花子さんのような美人なら何時でも!実は毛恥ずかしくて見る気はなかった。それにワシはミュージカルが元々嫌いでな!そやけど花子さんが、キリスト教もたまにええやんかというんで行ったが、大満足涙ボロボロでハンカチがなくて処理に困った。

花子:とにかくブロードウエイなど狭い舞台のミュージカルって箱庭みたいで限界あるけど、映画だとどんどん風景が変わりリアルになる良さがあること痛感したわ!

太郎:その通り、素晴らしかった。なんか噂ではこの映画口パクではなくてそれぞれの俳優が現場でそのまま歌ったというやんか!だからこそ心に歌が響くのかもしれんなあ!表情と歌とが一致するから・・

花子:この監督は2010年の『英国王のスピーチ』でアカデミー作品賞をはじめとする様々な賞を受賞し、フーパー自身もアカデミー監督賞を受賞したというから凄い腕前だったわ。

太郎:映画でもミュージカルあんまり感激しないがこれは全然違う迫力があった。

花子:ヒュー・ジャックマンのジャン・ヴァルジャンがかっこよくて、昔のジャン・ギャバンみたいな煤けた苦老人の味がなくて却って、愛に満ちた演技で最高だった。

太郎:あまり好きくないのだが、アン・ハサウェイの丸刈りにするほどの熱演の汚れ役は凄かったな。普通女優はあまりにも汚らしくなるような役は嫌がるんやけど、流石女優としての誇りと自信があるからこういう役もやってのけたんやろ。

花子:ラッセル・クロウが悪者役で凄かったわね。最後の飛び込みの前の歌の迫力のあったこと、ほんとに俳優ってのは歌も歌える芸人なのよね!

太郎:ちょっと物語に戻ると、貧乏で妹に食べさすために、たった1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャン、その怨念と憎悪が神に照らされて聖化していく姿を描いている。

花子:流石太郎さん!聖化など専門用語知ってるのね!笑い 仮出所の後、行く先々で冷遇された彼を、カトリック司教は暖かく迎え入れてくれる。


しかし、その夜、教会の財産である銀の食器を盗んで逃亡するが、官憲に捕まる。その官憲に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げ、さらにニ本の銀の銀の燭台を忘れていったと述べたのである。

太郎:まさに感動的な場面でそれまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は、司教による神の慈愛に貫かれるんだ!キリスト教用語で<回心 メタノイア>という言葉のある通りの、彼の決定的瞬間なんだ!

花子:昔のキリスト教では回心するというのを後悔やら反省などの意味で訳しているが、これ間違いなのよね。そもそも新約の原典のギリシャ語にはヘブライ思想の回心の意味がないし、多神教の日本でもそうなのよね。本当の意味は<心や魂が神に向かって、罪深き人間が本来の姿に戻る>ということなの。

太郎:ワシはそんな風には神学部で習わんかったわ!笑い 確かにそのように考えるとヴァルジャンの決定的瞬間よう理解できるわな。

花子:こうして回心したヴァルジャンが、その後慈愛の心をもってまわりに尽くしていく姿は、まさにマタイ5条のイエズス様の山上の垂訓そのものの人生を歩むのや!そして周囲もそれに感化されていく。まさにイエズス様の似姿として生きる。

太郎:イミタチオ・クリスティか!

花子:まだラテン語覚えてるの?キリストに倣えよって意味ね

太郎:僕はあの悪役のおっかけ警視総監ジャベールが何時回心するか見ていたが・・

花子:彼って何か回心前の聖パウロのイメージ無い?ユダヤ教で律法厳守主義のパウロがキリスト者をしょっぴくために徹底的弾圧をやるあのしつこさのイメージ。そのジャベールが絶対絶命になったとき、殺せば良いのにヴァルジャンは逃がしてやるのよね。

太郎:でもダマスコでのパウロのあの回心の現場のような迫力はなく、それでもジャベールにはその時点で赦しの発想はでてこなかった。

花子:だけどジャベールは戦死した幼い勇気ある子供に自分の勲章を死体にくれてやるなど徐々に兆候がでてくるのよね。


そうそうこの原作の背景はナポレオン1世没落直後の1815年からルイ18世・シャルル10世の復古王政時代、七月革命後のルイ・フィリップ王の七月王政時代の最中の1833年までの18年間を描いのよ。さらに随所でフランス革命、ナポレオンの第一帝政時代と百日天下、二月革命とその後勃発した六月暴動の回想・記憶が挿入されている。この映画では六月暴動が主要場面にある。

太郎:しかし最後にはジャベールも回心したが、自己嫌悪とヴァルジャンの敵をも愛する心に圧倒され、そして自殺してしまう。でもともあれ矢張り神の愛はジャベールをも救ったんだよな。まさに飛び込んだ水は洗礼の意味があるのだ。考え過ぎかな?

花子:神の救いをこれほど丁寧に判り易く描いた1962年の文豪ヴィクトル・ユーゴーの原作は素晴らしいと思うし、この映画ってキリスト教の実践教科書にしてもいいんじゃない?

太郎:プロテスタント作家の三浦綾子のような安っぽさがないのは流石ユーゴーだわ。特に現代世界は憎悪に満ちた自由競争、弱肉強食が氾濫しており、だからこそこの映画は大きな意味を持つと思うんだわ。

花子:世界のなかの民族・人間の憎悪と復讐の連鎖は未来永劫平和の確立ってむずかしくさせる。だからイエズス様の山上の垂訓は常に世界に希望と灯りを灯しているのよね。

太郎:うんそういう意味でこの映画アカデミー賞でも取らんのかな!僕は申し分ないと思うよ!でも僕は敵を愛することは絶対にできない。赦すことは出来るかもしれないが・・・

花子:そんな太郎さんみたいな感情の起伏の激しい人って、意外に怒りと愛の振幅も大きく、つるべ落としのように、憎き人でも突然赦してしまうのではないのかな?

太郎:アカンアカン ワシは執念深いぞお

花子:しつこいようだけどこの映画の満足感と感激度は今年一番かもしれないわ。クリスチャンだからそう思うのかしら!

太郎:なんか昔勉強した聖書や神学の教科書読んでみたくなったなあ。
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