南丘喜八郎 月刊日本1月号【巻頭言】天将に吾に大任を下さんとするの秋なり | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

南丘喜八郎 月刊日本1月号【巻頭言】天将に吾に大任を下さんとするの秋なり
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 A級戦犯容疑者として逮捕拘束されていた岸信介は、奇しくも真珠湾奇襲攻撃から四年目の昭和二十年十二月八日、巣鴨拘置所に収監された。開戦時、商工大臣として詔書に署名した岸は、収監された時四十九歳だった。
 


冷戦が既に始まっていたが、冷戦の激化で米ソの対決が厳しくなれば、自分の出番は必ずくる、そのときが「勝負の時」だと、岸は予感していた。岸は獄中で「天将に吾に大任を下さんとするの秋なり。争でか此の試練に堪へざらむや」(『断想録』)と孟子に託して記している。
 


昭和二十三年十二月二十三日、東条英機らA級戦犯7人の刑が執行されたが、翌日、岸は保釈された。翌年二月、郷里山口から上京するや否や、銀座に岸事務所を開設し、政治活動を開始する。


昭和二十八年二月、欧米視察に出発するが、「バカヤロー解散」で急遽帰国、自由党から出馬した岸は議席を獲得する。注目すべきは、岸が自由党憲法調査会会長に就いたことだ。翌年に自主憲法制定を柱とする改正要綱案を作成している。
                          
 昭和二十九年十一月、自由党を除名された鳩山一郎、石橋湛山らと日本民主党を結成、幹事長に就任。党の政策綱領は「安保条約を双務的に改定する」と、堂々と謳っており、岸は「片務性だらけの安保条約の改定は是非やらなければならない」と明言した。


旧安保条約は「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」(ダレス発言)を担保する純然たる基地提供条約であり、併せて「日本封じ込め」をも目的としていた。岸はこの不平等条約改定を是が非でも成功させねばならぬ、と不退転の決意を固めていた。
 


明けて昭和三十年八月、鳩山内閣の外相重光葵らと訪米、ダレス国務長官との安保条約の改定交渉に臨んだ日本側は「相互防衛条約(試案)」を用意していた


試案は「米軍は条約発効と共に撤退を開始し、日本国の防衛六箇年計画の終了後九十日以内に日本国よりの撤退を完了するものとする」と規定していた。


試案はダレスとの会談では出されなかったが、米軍の全面撤退の実現を目的としていた。サンフランシスコ講和条約発効から僅か二年後、我が国の政治家は毅然とした独立自尊の精神で米国と対峙しようという、熱烈なる政治意志を有していたのだ。
 


だが、ダレスは鎧袖一触、「重光君、偉そうなことを言うけれど、日本にそんな力があるのかと一言のもとにはねつけた」(『岸信介の回想』)。ダレス・重光会談に同席した岸は、対米従属路線から脱し、日本国の自主独立を実現することが極めて困難な課題であることを、改めて脳裏に刻み込んだ。

 昭和三十年に保守合同が成り、石橋政権を経て、岸政権が誕生する。首相就任から2箇月後、岸は参院で「安保条約、行政協定は全面的に改定すべき時代に来ている」と答弁する。愈々「勝負の時」が到来したのだ。
 


六月、岸は安保条約改定を提議するため訪米に出発する。岸訪米を『ニューズウィーク』はこう報じる。


「日本が先進国の仲間入りするには、米国への従属関係を断ち切らねばならない。今回の岸首相とアイゼンハワー大統領、ダレス国務長官その他要人との会談で、日米間の諸問題が一度に解決するとは岸首相も考えてはいない」
 


何としても安保条約改定を実現したいと考える岸は、訪米を前に用意周到に準備を進めた。二年前、重光の提案を歯牙にもかけなかったダレスとの会談を成功させるため、駐日大使のマッカーサーと頻繁に会って、日米安保体制の枠組みを分析し、何が出来て、何が不可能か詰めた議論を重ねた。
 


岸との会談に臨んだダレスは、開口一番「これはあなたに一本取られた。確かに安保条約改定に取り組まなければならない」(『岸信介回顧録』原彬久)と述べた。
 


この勝負、岸が勝ったのだ。この時の「アイゼンハワー・岸共同声明」は次のように、米軍撤退を謳っている。


「一九五一年の安保条約は暫定的なものとして作成されたものであり、永久に存続することを意図したものではない。合衆国は日本の防衛力整備計画を歓迎し、安保条約に従つて、明年中に日本国内のすべての合衆国陸上戦闘部隊のすみやかな撤退を含み、大幅に削減する」
 

三年後、岸はたった一人で安保改定に立ち向かう。毀誉褒貶を懼れることなく、対米自立の第一歩を踏み出した。
            
 安倍新首相に次の言葉を贈ろう。岸が巣鴨拘置所で記した『断想録』の一節である。


「三千年来にない此の苦難を如何に克服するかの問題である。真の日本人の自覚に立って、日本人自身のもので解決せねばならぬ。如何に嵐が吹くまくるとも、如何に怒涛が逆巻くとも、己自身を見失ってはならぬ」
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