奥山篤信の映画批評69 <月刊日本12月号)日米合作映画「二つの祖国で | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信の映画批評69 <月刊日本12月号)日米合作映画「二つの祖国で 日系陸軍情報部(MIS: Human Secret Weapon)」
----------------------------------
~祖国愛とアメリカ人との狭間で苦しむ日本人魂の美しさ~


すずきじゅんいち監督のライフワークといえる日系アメリカ人の三部作の第三部であり第25回東京国際映画祭映画に参加した作品である。すずき監督は「東洋宮武が覗いた時代」「442」に続きアメリカ移民した日本人の悲劇的運命とその逆境のなかで失われなかった日本人魂をこれら三部作で表現した。


戦後あの戦争での日本の侵略や帝国軍隊の狼藉性は捏造や歪曲はされることがあっても、日本人があの戦争での大東亜諸国の解放的役割はもとより、日本人の英雄的行為、日本人と軍人としての生きざまの美しさ、さらに日本人が戦争地域で戦前・戦中・戦後被った人種差別や大虐殺やリンチ行為には完全に蓋がされ、戦後の日教組や文部省の教育はこれらに対して一切の事実を伏せるどころか、逆に日本の援助資金を威嚇的に奪い取ろうとする近隣諸国に迎合して、ありもしない帝国陸軍の残虐行為や大量虐殺の捏造に対して、みずから日本人の<冤罪>を認めるような役割を果たした。


それは河野談話や村山土下座外交に顕著であり、朝日新聞や公共放送が反日キャンペーンを繰り広げた。自らの国家をおとしめる、それもありもしない事実を反日国家と付和雷同する、世界で稀有の自虐国家と言える。

そんな中ですずき監督自身は政治的イデオロギーからではなく、アメリカ移民たちの真実を多くの日本人・アメリカ人に知って貰おうという信念からの三部作が完成したことは喜びに絶えない。戦後の偏向した自虐史観教育により第二次大戦中のアメリカ在住の日系二世の悲劇などほとんどの日本人は知らないのが実情である。


第一作はパール・ハーバー以後アメリカにての日系人強制収容所について、世界的カメラマンである宮武東洋を描いた。第二作ではアメリカ軍として欧州戦線で大活躍した日系人部隊442を描いた。

本作品は、もっと精神的に過酷だっただろう陸軍情報部に召集された日系移民たちの忸怩たる心情を描いたドキュメンタリーであり、構成は当時の情報部員のインタビュー形式を中心に前作と同様描かれている。


いつも感心するのが、すずき監督がインタビューされる人々の表情を真実を語る人間の心の闇からの微妙に引き出す才能である。彼らは誇りと裏腹の無念や悔恨の心は死ぬまで持ち続けていた。


442連隊はある意味で直接闘ったのは欧州戦線での枢軸国であり、日本軍ではなかった。勇敢に闘い、その負傷者の多さから、442連隊の始祖であった100大隊は、名誉戦傷戦闘団(Purple Heart Battalion)とまで呼ばれた。ダニエル・イノウエ上院議員はまさに片手を失って活躍した442部隊戦士であった。

それに比べて陸軍情報部はまさにインテリジェンス、要はスパイ行為も含む対日戦でのオペレーションである。スパイ行為は元来島国根性の日本の文化には拒絶反応がある。それに日本に居る兄弟と引き裂かれ、実際に戦闘で遭遇した悲劇もあった。戦後はアメリカ進駐軍の敗戦日本への軟着陸のために活躍した。その功績は大なることを映画は物語る。

人間は神の被造物である。人間は生まれながら平等であり白・黄・黒に拘わらず人間には変わりはない。自分では変えることのできない生まれながらのものにお互い差別はあってはならない。


日系アメリカ人が受けた差別、これは白いアメリカ人から、本土日本人から、まさにやり場のない無念さであったろう。それでも与えられた任務を全うした三部作を通じての日系人としての日本人の誇りと自尊心に対して僕は喝采するのである。


えてして民族主義者は自らの血を誇るあまり、他者への尊敬や配慮に欠けるむきがしばしば見られるが、敵性国家への怒りとそこに生存せざるをえない他者への思いやりを区別しなければならない。

この映画は12月8日パール・ハーバー奇襲記念日に封切りされる。
尚監督の書いた「1941 日系アメリカ人と大和魂」(文藝春秋刊)は、この映画についても分かり易く説かれているので推薦する。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆