奥山篤信 映画評 アメリカ映画「声をかくす人THE CONSPIRATOR」2011 ☆☆☆☆ | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信 映画評 アメリカ映画「声をかくす人THE CONSPIRATOR」2011 ☆☆☆☆
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名優ロバート・レッドフォードが、『大いなる陰謀』以来久々の監督を務めるこの作品はリンカーン大統領暗殺の共犯(まさに映画の原題)として、初めて女性が軍法会議で裁かれ絞首刑となった実在のメアリー・サラットと正義感溢れる熱血弁護士との心の繋がりの過程を政治ドラマとして描いている。


僕が清潔な色気女優として最も愛するロビン・ライトが主人公で出ている。あのうなずくような顔の動きと愛に満ちた瞳、いまは中年の熟女であるが、この映画ではまさに被告メアリー・サラットであり、無罪を証明できる息子を庇うために居所を伏せ結局自ら罪を追って処刑される悲劇のヒロイン役であるが、熱血的カトリック(南部はカトリックが多い)の毅然とした振る舞いが最後までイエスの支えの中で美しい。親の息子を庇う気持ちを理解している娘のエヴァン・レイチェル・ウッド扮するアンナ・サラットの忸怩たる思いも痛々しい。

要は南北戦争後の怨念の渦巻くアメリカの中でリンカーン大統領暗殺は決行されたが、国家の混乱を避けるために北部の首脳はショウトライアルにて一気にこの件を清算し国民融和を図ろうとする政治的裁判であった。北部の勇敢な軍人あがりのジェームズ・マカヴォイ扮するフレデリック・エ


イキンは心ならずも彼女の担当弁護士となる。しかし事件を調査する中で徐々に無罪を確信していく。しかしまさにリンチ裁判として最初から結論がでた茶番裁判で証拠や証人は捏造され弁護側は正当な弁護もできない。


それでも出世を望むのなら無理しなくても良いものの、この有能な若者の正義感にもとずく弁論は逆に北部の首脳・上流階級の反発を招き、村八分として愛する妻にも逃げられる。


アメリカ社会はある意味でこういう正義感が時代の節目に登場するのがアメリカの新陳代謝というものだろう。


僕はこの映画を見て即座にあのショウトライアルの茶番リンチ事件の東京裁判と重ね合わせ、あの時の熱血弁護士ベン・ブルース・ブレイクニーを重ね合わせた。彼の法廷内での弁護発言は通訳が打ち切られ一切記録として残されなかった。まさに日本を裁く資格はないと述べたのである。下記参考までに


<キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。


我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか>

戦争裁判など、勝者が正義の名の下の<偽善と欺瞞>でしかないことをこの映画でもはっきりと描き出す。近代以前の勝った側が負けた側の指導者を直ちにその場で殺戮するほうが余程こんな偽善や欺瞞よりわかりやすいし人間らしい。


綺麗ごとの名において、捏造偽証でDue Processなどと全く茶番に過ぎない。セルビアのミロシェビッチ裁判、イラクのフセイン裁判すべて茶番に過ぎない勝利側の偽善と欺瞞の儀式であった。

パールは『パール判決書』の「戦争に勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」


そして彼の素晴らしい言葉で映画評を締める。
時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう
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「よみがえれ美しい日本」  第1289号


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