「ヴェノナ」ソ連の諜報活動の成功ー原因はフリ-パスでの大量採用 | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

「ヴェノナ」ソ連暗号解読作戦「ソ連の諜報活動の成功」ー原因はフリーパスでの大量採用
(第11章 ソ連の諜報活動とアメリカの歴史より)


 以上のように本書で明らかにされたところから、結論として次のようなことがいえよう。

 1930-40年代を通じ、何百人というアメリカ人がソ連諜報部と強固な組織的関係をもってアメリカの国家機密をモスクワに知らせる諜報活動に従事していた。

 このことが「ヴェノナ」作戦に基づく暗号解読文書によって今日はっきりとわかったのである。当時のソ連が、これほど大規模に対米スパイを駆使できたことは、ソ連の諜報活動の歴史の中でも最大の成功例であったといえよう。

 しかし、何故、そのようなことが可能になったのであろうか。その原因の一つは、アメリカ政府が第二次世界大戦の勃発に際し、いくつもの急ごしらえの省庁を新設して、多数の人間を新たに連邦政府職員として雇い入れねばならなくなり、そのために通常の公務員採用では求められるはずの身元保証をせずに、殆どフリーパスで大量採用を行ったことにあった。

 例えば、第二次大戦中に発足した諜報機関OSSには、現在わかっているだけで、15人から20人に上るソ連スパイを潜入させてしまった。

 同様に戦時中、臨時に設立された「戦時工業生産委員会」や「経済戦争委員会」あるいは「米州諸国同盟問題調整局」やOWIなども、わかっているだけでそれぞれ少なくとも6人以上のソ連スパイを抱え込んでいた。

 勿論、戦争前から存在した、より恒常的な官庁は、ソ連スパイの浸透にはもう少しガードは固かったがそれでも、かなりの程度の浸透を受けていた。

 例えば、国務省には少なく見て6人のソ連諜報部のスパイが潜入していたことがわかっており、その内の二人、即ちアルジャー・ヒスとローレンス・ダッガンは、国務省の最上級の高官として10年以上にわたってソ連諜報部に情報を流していた。

 一方、財務省に於いては、財務次官補まで登りつめたソ連スパイ、ハリー・デクスター・ホワイトがいたから、多くのソ連のエージェントが巣食っていた。
 
 財務省にはわかっているだけで8人のソ連スパイが潜入していたが、そのうち6人までが「通過調査部」と関わる部署でソ連スパイとして活動していた。
 (以下省略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・



ヴェノナ/ジョン・アール・ヘインズ

¥3,360
Amazon.co.jp