2020年10月訃報に接した鉄筆さんの目撃情報と磯辺さんとの縁起については,以下に記したことがあります。
この記事から2年以上が経過し,再び鉄筆さんに相まみえることになろうとは,当初は全く思ってもおりませんでした。
ところが,先日(2024年2月の木曜日)権阪駅近くの雑居ビルの4階の一室を訪ねた折り,まるで当たり前のように其処にいて,新しい読み物の諸企画について滔々と(もしくは訥々と)説明する鉄筆さんのお姿を目にしてしまったのです。
鉄筆さん(1976)鴨川にて
あまりにもその姿が自然だったので,其処にいてることを自然に受け入れておりました。2020年10月の訃報から3年半近くが経過しているというのに,全く不可思議とは思わず,その旅の御方の身体を捕らえて離さぬ説明に聞き入ってしまったというのがほんとうのところです。
鉄筆さんの生来の性質として,普段はさほど目立った感じはなかったものの,此所ぞというときには,その強度を最大限に発揮するというその特徴がいかんなく発揮されておったことが,不可思議に思わなかった一因かも(鴨)しれませぬ。
鉄筆さんは,幼少の砌,当初は漁師(長崎県長崎市)の長女(もしくは長男)として生を受けたそうです。そげな折も折,漁師を廃業した両親に付き添い,国内の各所を転々とするとともに職業も多種多様に転々とし,いっときは延縄漁の漁船に乗っておったこともあったと,訃報に接する前の本人から直接聞いたことがおました。
明石さん(1978年頃)
そんなわけで,嘗て平日の日中に鉄筆さんに連絡を取ろうとしたところ,近場の河川に赴き川釣り(+食事)に没頭してしまった結果,深夜まで連絡が付かなかったことも,今となってはよき思ひ出です,当時はほろほろ困り果てたものですが……。
また,鉄筆さんの知己を得たばっかりの頃合いで,夜を徹してアルコール入り水などを,権阪駅から徒歩3分の場所に嘗てあった割烹『よし田』に於いて身体に取り入れようとしたこともありましたが,エチルアルコールの件に関しても鉄筆さんは無敵で,翌朝まで唯一人決して眠りに落ちなかったことを,人伝ではありますが,確かに聞いたことがおました。
因みに,割烹『よし田』では,翌朝まで眠りに落ちなかった酔客に対して,丼いっぱいの白湯が無料で振る舞われることもあったそうです,今から十二年以上前の話になりまするが。
鳴ける猫(2015年頃)
末筆となりました。
藤山ジュンコ様が歌った『鎖』(19710605)になります。
抄録 『鎖』 藤山ジュンコ様
C#m
愛の鎖が欲しい 縛りたいのよあなた
F#m C#m A Ab7+9
いつも私の側で 朝も昼間も夜も 二人だけで 暮らすの
何と,ピアノだけで『鎖』を歌ってはるヴァージョンを,初めて見つけたがですです。