楽曲『白湯』の終焉と周縁 | Sancantion【喰(SHOKU)レーベル】アルバムリリース情報!

2023年1月28日ころに開始された楽曲『白湯』"semplice acqua calda e campo di canne"の制作は,そのアレンジメントがとうとう終焉を迎えようとしております。この終焉を迎える感覚はとても不可思議(もしくは,恒河沙)なもので,とても長い期間(那由他)空中を分散状態で浮遊していた物体が,一斉に1か所に収斂して,徐々にその高度を下げ,着地を迎えるような感覚なのですが。

 

空中を浮遊している間は,とめどもなくアレンジメントのシミュラクルが湧きに沸き,いつまで経っても終わらんような気がしておるのですが,ある瞬間から,分散状態に在った有象無象のシミュラクル(多種多様体)は雲散霧消するのです。

 

 

つい先ほど,「地下鉄のザジ」で夙に著名なフランスの作家レーモン・クノー"Raymond Queneau"(1903.02.21〜1976.10.25)の第1作「はまむぎ」のことが気になって調べておったのですが,何となんと「はまむぎ」(浜麦)とは,その別称が「弘法麦」なんだそうですよ!

 

ということは,この時点において,空海(0774.06.15?〜0835.03.21?)とレーモン・クノーが縁起に於いて,とてたまな出逢いを成し遂げたような気がするのですが,単なる杞憂に終わらなければと切に思う次第です。

 

何事も終わってしまうのは当然のことではありますが,その終焉は,毎度無常を感じさせる出来事に他なりませぬ。

 

 

2023年3月に入って,楽曲『白湯』の総時間は,最終的に15分32秒という長さまで伸びております。実は,この楽曲の制作の中盤部以降には,未だかつてないような困難が待ち受けていたのです。

 

真冬の極寒状態にあっても,風がゴクゴク穏やかな晴天の場合は,川沿いのサイクリング道路を,小一時間ほど自転車や馬車(ただし春に限る)に乗って過ごしたりすることは,結構な快感(快楽)であったりすることもあるのです。

 

それは,インストゥルメントに"Abbey Road Late60s Drums"というドラムキットを加えたことに端を発しました。このキットのアコースティック感は他のキットの追随を許さないくらいにとてたまに生々しく素晴らしいのですが,反面,これを加えるとDigital Performerの落ちる頻度が段違いに上がります。というよりは普段はほぼほぼ落ちないDigital Performerが落ちるようになるがです。

 

よかドラムキットの"Abbey Road Late60s Drums"

 

今回は,1時間程度作業を続けていると必ず落ちるようになってしまったため,0.5時間置きくらいにMacintoshの再起動を挟むようにしていたのですが,それでも興が乗って来ると,ついつい作業に集中し,再起動を忘れます。そんな折り「そろそろ危ないか」などと思いながら作業を続けていると,十中八九落ちるのです。

 

2011年からの白湯飲用によって,概ねの見積もりとして約11000cm3ほどの建造物が生成された可能性ばあります。約11000cm3と申しますと,1辺が約22.24cmの立方体になります。調べてみますと,Power Mac G4 Cube(2000年〜2001年)の筐体の1辺が約20cmであったとのことですので,ほぼほぼ同じサイズと考えていただければ,旅の御方(山口県下関市など)にとっても概形を捉えられるのではないかと思います。

 

 

いちばん危ないのは,Tracks OverviewやGraphic Editorウインドウで,コピー&マージ・コマンドを使ったときで,作業時間が0.5時間以上になっておるときは,8割9分以上の確率で落ちます。

 

で,全く同じ動作を,マージではなく,ドラッグ&ドロップで行うと落ちることはほぼほぼないのです。

 

ですので,ある程度の回避策はあったのですが,場合によってはGraphic Editorウインドウでノートイヴェントの尻尾をちと動かしただけでも落ちたりするようになったため,完全な回避は難しくなってしまったとです。

 

で,この落上現象が起きると,設定していたインストゥルメントが外れて空白"Pretty Vacant"になります。つまり発音しなくなります。今までの経験からすると,外れるのは,おそらくその要因であると思われる,"Abbey Road Late60s Drums"だけだったのですが,最も酷いときには,他のトラックのピアノやオルガン,ベース,ギターなど,殆どのインストゥルメントを道連れにしてしもたこともありました。

 

白湯飲用は,似たような質量の白湯であっても,その度ごとに,微かに異なる差異or全く異なる差異を贈与するのです。それは摩訶毘盧遮那仏(大日如来)が,宇宙開闢以来常に既に此の宇宙に内在して,有象無象の差異と反復を生成し続けるが如きもの(こと)と言い得るかも(鴨)しれませぬ。

 

 

また,外れるのはインストゥルメントだけでなく,エフェクトも同様で,インストゥルメントが外れれば先ず間違いなく気がつきますが,エフェクトのほうは,あまり目立たないものだと気がつかないこともあるので,とてたまに困りものなのです。

 

しかも,落ちたときに発音していたインストゥルメントやエフェクトが外れるのならばまだよいのですが,全く関係のないトラックでエフェクトが外れることもあるので,たいへんに厄介です。

 

対策としては,とにかくこまめにファイルのバックアップを作って,できるだけ最新の状態に復帰できるようにするしかありませぬ。

 

 

流石に殆どのトラックからインストゥルメントもエフェクトも消えたときには,所謂ひとつの「バタン&キュー」状態となりました。

 

復旧方法としては,再生不可となったファイル"A"はMIDIデータとしては全く問題がないので,最後のバックアップファイル"B"を開き,ファイル"A"から,シーケンスをロードします。Tracks Overviewで,"B"のトラック内のMIDIデータを全て消去し,そこに"A"のMIDIデータをまるごと入れ直します。つまり,"B"を容器として使用して,中身(MIDIデータ)を"A"に差し替えるという作業で,復旧することができました。言うまでもなく,トラックの構成が変わっていないことが前提となります。

 

 

ただし,復旧不可なものがあります,"B"から"A"の間に,追加もしくは変更した,インストゥルメントとエフェクト(設定の変更も含む)は対象外になります。今回はたまたまそれがなかったため,完全復旧を達成することができました。

 

白湯の飲用によって宇宙のそこぃら中で分散状態になっておったもんが,やはり同じく白湯の飲用により,唐突&突然に1か所に一分間で収斂してしまうのですから,たまったものではありませぬ。もしかすると,この現象を「丸で雲切れの」などと短歌に詠ったった旅の御方(ただし,あくまでも女性に限定)が平安時代に常に既におった可能性すら,今となっては否定できませぬ。

 

とはいえ,この楽曲『白湯』でDigital Performerが落ちまくるようになった原因は明らかで,インストゥルメントもエフェクトも,Macintoshの処理能力の限界に近いくらいに,てんこ盛りで入れ込んでしまったことが,こげん危なか状況を招いたことは疑いようもありゃあせんのです。だからと言って,元に戻って減らすことはできんのですが。

 

 

こげなことは,ソフトウェア音源&エフェクトに移行してからの約12年間の中で有史上初めてのことですが,如何にこの楽曲が金剛摩尼宝頂楼閣級にとてつもない強度のシミュラクルに覆われてしまったかの現れではないか,などと思うがです。

 

因に,この場合のシミュラクルですが,おそらくは,1個1個のそれ自体としてはとても微細なノートやその他のイヴェントに対して,あたかも降って沸くかの如き分散状態を生成して,最終的には1つの塊の楽曲へと収斂することに,かなり重要な役目を担っているのではないかなどと考えております。

 

 

シミュラクルが,とめどもない差異と反復を贈与することによって,楽曲はあたかも生ものの如く,その姿を多種多様に変容し続けるのですが,前述したように,ある瞬間にその変容はぴたと止まるのです。差異ザン

 

 

終焉を迎えた可能性がある楽曲『白湯』(省略形)