その宴会場には,かなりの広さのロッカールームが併設されておりました。宴会場の大広間では,常に既に宴が開始されておったのですが,まだ人影は疎らで,多くの人々はロッカールームの側におったのです。
つまり,その宴会は,宴がメインではなく,ロッカールームのほうがメインであった可能性ばあります。
27年間の長きに渡って一度たりとも開けられたことのないロッカーを開けるという出来事が,集まった旅の御方を宴会場から遠ざけ,ロッカーの前に集結させていたことに,わたくしは気づきました。
ロッカーには6桁の個別の記号が付けられており,旅の御方は,ご自分のIDカードの番号と付け合わせる作業に没頭しておったのです。ロッカーは1人に1台というわけではなく,5〜6人のグループで1台が共有されておりました。
そのグループがどんな基準で構成されているのかははっきりしません。ですから,ロッカーの中にあるものが自分の所有物であるという確証は全くありません。
去んじ27年前の5月のことでしたから,1994年になりますでしょうか。所謂五月晴れとでも申しましょうか,たいへんに心地よい日和の一日であったことを記憶しております。
大阪府立体育会館近くのフルーツカリーの名店で昼食を摂った折り,喰後にクーラーボックスの設置場所へと向かったのです。その設置場所へ向かうには,幾つもの自転車専用の狭隘トンネル(黒色)を経由しなければなりません。このトンネル,原則は一方通行なのですが,万が一進行方向から逆向きに自転車がやって来たら,完全に正面衝突となりますので,常に既に冷や冷やものでした。
しかもこのときは,フルーツカリーを摂取した直後ということもあり,胃は満杯で,狭隘トンネルのアップダウンは,身体にとってとってもしんどかったことを昨日のことように思い出します。
何とか無事にクーラーボックスの設置場所に辿り着きましたが,自分のクーボックスを見て愕然としました。何と蓋が開いたままだったのです。前回この場所に来たのがいつのことかは記憶にありませんでしたが,中身を見ますと,前回とあまり変化はないようで,心底ホッとしたことを記憶しております。
しかも,クーラーボックスには,帆立,海老,(長崎県産の)烏賊などが入っていたのですが,蓋が開いているにも拘らず,冷凍状態には問題はなさそうでした。
そんな折りにも,旅の御方は,ご自分のクーラーボックスを開けて,思い思いに海老や烏賊(不詳)などをつまみに,ビール缶詰から中の液体を身体に取り入れようとしている様子が散見されました。
フルーツカリーで胃が満杯のため,烏賊(長崎県産)を喰するのは止めて,自転車設置場所へと移動します。
自分用の自転車の設置場所は2台分あったのですが,2台の自転車とも無事保管されており,状態も申し分ないようでした。自転車を固定する装置のLockの解錠及び再施錠が問題なくできることを確認しただけで,その場を後にしましたが,そんな短時間の間にも,新規契約者の旅の御方が複数訪れておったのがまことに印象的でした。
ちなみに,Lockの解錠と再施錠には問題はなかったのですが,その操作の際に,自分の鍵の柄のプラスティック部分が半ば砕け落ちてしまいました。鍵を長期間放置しておいたのが原因と思われます。
27年ブリ(鰤)に開けたロッカーの中身は,宝の山とは全くかけ離れたものでした。主に,手書きでボールペンや万年筆などの筆記具を用いて書かれた散文や場合によっては韻文が散見されるだけでしたが,中には「あっは」「ぷふい」と驚かされるようなお品ものが幾つかあったことを付け加えさせていただきます。
さて,いよいよ宴です。宴会場の大広間へと移動しますと,常に既に喰用の肉を肴にアルコール飲料を摂取している旅の御方(ドラマー)がおりました。
フルーツカリーも大分熟れて来ましたので,わたくしも喰用の肉を身体に取り込もうしますが,旨く行きません。