私たちの抱いている思いは、人としてあるべきもの、人として正しいものでなければいけない。
しかし、正しく思うということはなかなか難しいことでもある。
何故なら、人間の心の中には常に利己の心と利他の心が同居しているからである。
つまり、一方では、自分だけ良ければいいという利己の心、もう一方では、社会や他人に対して優しく思いやりに満ちた利他の心、この二つの心を私たちは併せ持っているのである。
その二つの心が同居しているわけだから、その中で出来るだけ利他の心が大きな部分を占めるように、自分自身を鍛錬していかなければいけない。
言い換えれば、こういった鍛錬を通して、人間性を高める修行を行っていくのである。
私たちの心の中では、毎日毎日、利他の心と利己の心がせめぎ合っている。
だからこそ、利他の心が大きな部分を占めるように、自分自身を変えていく努力をしていかなければいけない。
そして、もし自分の心に利己の心が出てきた時には、「コラッ」と言って、自分自身を叱りつける。
そういったことを繰り返していると、徐々に『自分勝手な思い』が生じてきた時には、自分自身を叱りつける習慣がついてくるのである。
自分はまだ若いから、今は利己の心が強くても構わない。
その内に利他の心を持てるようになってくれば良い。
そういうふうに思われる方もおられるかもしれない。
しかし、年をとったからといって利他の心が自ずと強くなるというものではない。
年がいっても、わがままで独りよがりの人が結構多いのが現実であり、嫌われている老人も意外と多いのである。
やはり、自分自身で心というものをコントロールできる能力を養っていかなければいけない。
利己的な心というものを出来るだけ抑えて、利他という優しい思いやりのある心というものが自分の心の大半を占めるように努力していくべきである。
個人にとって利益になること、自分の欲望を満たすために必要なこと、こういったことも大事なことではある。
しかし、長い目で人生を見た時には、もっと世のため、人のためになるようなことをしていく必要があるのではないだろうか。
そういった心というものを高く掲げて、努力をしていくところに、人生の意義も見出せるだろうし、人としての成長もできるのだと思う。
次に、あなたがある団体やグループのリーダーである時によく直面する問題である。
それは、自分の持っている思いとグループのメンバーたちが持っている思いが違っている場合である。
リーダー側からすると、メンバーたちはどうして自分の思いを理解してくれないのだろう、どうして自分の思いが通じないのだろうと思ってしまうことがあるかもしれない。
そんな時には、自分が持っている思いがそのグループの皆んなのためにという利他の心に基づいたものかどうか、よく確かめてみることである。
あなたの思いがあなたにとって都合のいいことではなくて、そのグループ全体にとって必要なことであるかどうかである。
それが利他の心に基づいた思いであれば、いずれは皆んな共感してくれる。
しかし、それが少しでもあなたのエゴが入ったものであれば、皆んなはそれを鋭く嗅ぎ分けて、ついてこなくなるだろう。
やはり、リーダーの場合には、自分のエゴというものを、つまり自分というものを捨てて、グループの皆んなのためにという利他の心に基づいた思いでなければ、メンバーはついてこないのである。