一体なぜ、これほど高い知能の持ち主がこんな不合理で馬鹿げたことをするのだろうか。
私たちはこんな事例をたくさん見てきている。
非常に残念なことであるが、一国のリーダーと言われる人たちでさえ、そういう人がいるのも事実である。
その答えは、知能の高さと感情をコントロールするということは別物だからである。
高い知能指数の持ち主が激情や衝動の落とし穴にはまったり、私生活でつまずくことは珍しくない。
学校のテスト、知能指数、卒業大学など広く世間で信用されている評価基準は人生における成功度の予言としてはあまり当てにならない。
確かに IQ と生活水準の間にある程度の相関関係は存在する。
IQ の非常に低い人々の多くはあまりいい仕事につけず、IQ の高い人々は高給取りになっている傾向がある。
しかし、人生を成功に導く要因のうち、IQ が関係するのは多く見積もってもせいぜい20%ぐらいのものだと考えられる。
ある人間が人生で成功できるかどうかは、殆どが IQ とは全く関係のない要因で決まってしまうのである。
各個人が持っている諸々の才能を生かせるかどうかは、EQ (こころの知能指数)によるところが大きい。
こころの知能指数とは、自分自身を動機づけ、挫折してもしぶとく頑張れる能力のことである。
衝動をコントロールして、快楽を我慢できる能力のことである。
自分の気分をうまく整え、感情の乱れに思考力を阻害されない能力のことである。
他人に共感できて、希望を維持できる能力のことである。
資質や学歴が大体同じで、チャンスにも同じように恵まれた人たちが異なる運命を歩くようになるのは何故だろう。
それは、IQではうまく説明できない。
ハーバード大学を卒業した人々を中年になるまで追跡調査したデータがある。
それによると、大学時代に秀才だった人がそうでない人より収入や業績や地位などの点で特に成功しているとは言えない。
また、大学時代の成績が優秀だったからといって現在の人生に満足しているとは限らないし、友人や家族との人間関係や恋愛面でも幸せとは限らないということも示している。
いくら学校の成績がよくても、人生のピンチやチャンスにはほとんど役に立たない。
IQ が高いからといって、富や名声や幸せを得られる保証はないのに、学校も社会も学力ばかりに注目して、人生を左右するもう一方の大切な資質、つまり EQ には目を向けていない。
感情の知性にも、数学や国語と同じように能力差がある。
IQ が同じでも人生に成功する人とつまずく人が出てくるのは、EQ に差があるからなのである。
EQ は、私たちが知能をはじめとするさまざまな能力をどこまで活用できるのかを決めてしまうという意味で最も大事な能力と言える。
もちろん人生で成功にいたる道筋は無数にあるし、EQ以外の資質が大きくものを言う分野も多い。
今日のような知識集約型の社会では、確かに専門能力も重要だろう。
しかし、こういった言わばオタクの世界でさえ、EQ が高い方が有利である。
世の中を眺めてみると、EQ が高い人、つまり自分の気持ちを自覚してコントロールできる人、他人の気持ちを推察して対応できる人の方が、人との信頼関係を構築するにしても、組織の中を泳ぎまわることにかけても有利である。
こころの知能指数が高い人は、自分の能力をうまく発揮できる心の使い方を自覚している分だけ、人生における満足度や効率が高い。
逆に自分の感情をコントロールできない人は内面が混乱していて、仕事や思考に能力を集中することができないのである。