人は自分が犯した間違いや誤りを認めようとはしないことが多い。自分自身のこれまでの人生で、どれだけの間違いを犯してきたのか、そして、その時にどういう対処をしてきたのか思いを巡らしてみた。
学生時代もかなりあったと思うが、社会人になってからの記憶が鮮明に残っている。
大体の場合、間違いだと自分で気づいていても、素直にそれを認めようとはせず、何とか言い訳をして言い逃れできないかと、必死になっている自分がいつもそこにはいた。
一つだけ例外があって、それだけは不思議とはっきり覚えている。それは、とても暑いある夏の日、ゴルフに行っている時のことだったが、一旦停止しなかったという理由で、隠れていたパトカーに捕まってしまった。
パトカーから出てきた警官に言われた、”ここは一旦停止しないとダメですよ! あなたは一旦停止したつもりでも、車が完全に止まらないと違反になります”
それで、私はすかさず答えた、”すいません、自分では完全に停止したつもりだったんですけど、止まっていませんでしたか? ちゃんと停止しないと危ないですよね。 これからは、ルール通りしっかり止まって左右を確認して安全運転に努めます”
するとどうだろう、その警官はこう告げた、”そうですよ、その通りです。あなたもよく分かっておられるようだから、今回はまあいいとして、これからは十分気をつけて下さいね”
無罪放免になったわけである。
例えば、その時、”自分はちゃんと一旦停止した。あなた達の見方がおかしいんじゃないか” といったような発言をして、言い争いに持ち込んでいたら、間違いなく切符を切られていただろう。
どうしてそんな態度を取ることが出来たのか、自分でも不思議なくらいだが、自分の過ちを認めて謝罪し、そして今後は十分な注意を払って安全運転に努めるといったことまで宣言したので、その時の警官も大目に見てくれたんだろうと思う。
流石にその日は気分が良く、ゴルフのスコアも上々だった思う。
自分が悪いと思ったら、あるいは間違いをしていると分かったら、相手に指摘されて攻撃される前に、自分で先に間違いを認めて謝罪する。
こうすれば、相手には何も言うことがなくなり、寛大になり、こちらの間違いを許すことにつながるかもしれない。
自分が犯した間違いや誤りを認める勇気には、ある種の満足感がともなう。罪悪感や自己防衛の緊張感から解き放たれるだけでなく、その間違いから生じた問題の解決にも役立ってくれる。
特に、自分に批判的だったり、攻撃的な人を相手にする時には、先に自己批判を始めると、相手の意気込みが挫けてしまうことがある。
自分が間違っている時には、速やかに自分の間違いを認めるようにしよう。この方法には予想以上の効果がある。しかも、苦しい言い訳をするより、余程精神衛生上好ましい。