自分の言いなりになるモノは、かわいい。

人なつこいペットは愛される。

人は、自分の思った通りに動くものに仲間意識や、愛おしさを感じる。

 

逆に自分の言いなりにならないものを攻撃したり、殺めたりもする。

虫が嫌いな人は、殺虫剤などで、一網打尽にしようとする。

しかし、家のすき間をふさいだり、掃除をこまめにしたり、虫を寄せ付けない工夫をすることで殺す頻度は減らせる。

恐怖を感じるモノを寄せ付け無い、近づかない工夫というのは、過度に殺傷しないで、防御するための重要な考え方である。

 

愛玩用のロボットなどは、ヒトが可愛いと感じるように最適化されているので、たまらなくカワイイ。

しかし、ロボットやアンドロイドが、あまりにも人に似てくると逆に気持ち悪く感じられる、いわゆる「不気味の谷」というのがある。

容姿や言動は人と変わらないが、何を考えているか分からないから不気味に感じるのだ。

ロボットやアンドロイドには、殺されるという恐怖心が全く無く、苦痛を感じないため、自身を防御するという概念が、たぶん無い。

苦痛とは、嫌いという事でもある。

ロボットには、好き嫌いがない。

そのため、ヒトの言いなりになる一方で、何のためらいもなく、ちから加減も考えずにヒトを殺せる。

それで人は、ロボットや機械に脅威を感じ、不気味さをおぼえるのだろう。


人と、人工知能との大きな違いの一つは、痛みを感じるか否かの違いである。

ヒトの記憶の目的は、痛みの保存であるとも言える。

すなわち、エネルギー供給を断たれるのを防ぎ、限られた寿命の生命を維持をするという目的から、記憶する必要が出てきた。

一方、人工知能の記憶は、エネルギー供給を断たれるという攻撃のリスクの全く無い状態で、無限にエネルギー供給を受け取ることができるという前提での記憶である。

無限とは、時間、空間認識が無いという事でもある。

だから、そこには移動して距離をとったり、逃げるという選択肢は、生まれてこない。

 

人は、恐怖を感じると、逃げるか、相手に反撃するか、自殺するかのいずれかの選択をする。

野生の動物は、まずは逃げて、逃げ切れない場合は、反撃する。

野生は決して自殺はしないが、人は自殺が出来る。

大脳は、痛みに耐えられない時、自殺という選択をとることがある。

 

恐怖心は、動物を動かす原動力なので、恐怖心をあおることで、人々は心を動かされる。

そのため、この心理を巧みに利用した恐怖心ビジネスが横行したり、争いが起きたりしている。

健康食品、医療、戦争などは、根本的には、人々の恐怖心から生まれる。

商売とは、安心を売り買いすることでもある。

広く言えば、全てのビジネス、人間が起こす事象は、恐怖心の克服であると言ってもいいのかも知れない。

 

身体に対する強い圧力は、大脳が発達する事で、痛みと認識出来るようになる。

従って、産まれた時は大脳が未発達なので、産まれるときの記憶は無い。

しかし、圧力の記憶は身体に刻みこまれている。

 

母子は、母の狭い産道を赤ちゃんが抜けて出るという、激しい圧力を通して、強い絆で結ばれている。

強い圧力の記憶を通して、子供が産まれた後も、母子はつながっている。

 

野生の動物は、欲しい物は自力で摂取する。

虫や爬虫類などは、エサを要求して、飼い主にすり寄ったりはしない。

犬猫は、やや大脳が発達しているので、飼い主にこびを売る。

媚びを売るという事は、他者の労力を使わせる事である。

直接欲しいモノをとるのではなく、他者の力を介して摂取するという、ワンランク上の能力が必要となる。

 

このように動物は大脳が発達してくると、他者の力も借りて欲しい物を摂取できるようになる。

他者の力を借りるとは、他者にも労力を使って動いてもらうので、痛みを分け合うという事でもある。

 
人は、他人も痛みを感じることを知っている。
人類は、痛みを感じる者同士であるという認識で、つながっている。
 

痛みが心を生み、人を動かす。