「死にたい」と口癖のように言う父に、私はいつも腹を立てていた。
「死ねばいいのに」と何度も思った。
それでも私は父を尊敬し、愛していたので、自殺させるわけにはいかなかった。
だから、私は一人で父に立ち向かうことをやめた。
医療関係者や兄などに助けを求め、多くの人の力を借りて、何とか私は正気を保ち続けた。

これは、死にたいと話す家族を救ったという美談ではない。
その家族を支える一人の人間が「正気を保つために何をしたか」という極めて現実的な話しである。


私の父は晩年、体調を崩すことが増え、「死にたい」という言葉を頻繁に口にするようになった。
私の母でもある長年連れ添った妻に先立たれ、父にガンが発見されてからは、なおさら頻度が増えた。

父は無茶をする人だった。
学生時代はスキーで崖からジャンプして骨折したり、中年になってからもジープで山道を走行中に車ごと川に転落したりした。
悩みを抱えていた時期には、発作的に失踪して、車ごと崖から飛び降り自殺をしようとして山まで行き、寸前で思いとどまるという自殺未遂事件も起こした。
口先だけではなく、本当に自殺しかねない人だった。

父のガンの余命宣告を受けて私は介護離職したが、二人きりになる時間が増え、しょっちゅう揉めた。
私と父は性格が似通っている部分が多く、どちらも自分の意見を曲げない頑固な性格だった。
私は幾度となく父親にブチギレては、過呼吸発作を起こした。
幸い父は保険診療で最先端のガン治療を受けられたので、すい臓ガンによる激しい痛みは避けられたが、それでもガン特有のだるさが辛いようで、麻薬が効かない時には暴言を吐いた。
暴言を吐く父を、私は何度も殺したいと思った。

介護離職を決意した時すでに、介護殺人は決して珍しい事件ではなく、自分にも起こりうることだと知っていたので、積極的に人の助けを借りるよう私は心掛けた。

担当医や医療スタッフの方々に、分からないことは分かるまで徹底的に質問し、患者家族としての自分の気持ちを包み隠さず打ち明けて相談した。
常に自分の本心を知ってもらうために、医療者の方々に感謝の気持ちを持ちつつも、気兼ねせずに、できるだけ本音で話すようにした。

父は最終的に、ガン終末期の痛みを取り除くことを専門とする緩和ケアの病院にお世話になった。
そこでは患者家族も心のケアを受けられたので、私も専門家による精神的なケアを受けることができた。
ちなみに、これも保険診療適用だった。

また、父を数か月ごとに短期入院させてくれたので、私は父と物理的に離れることができて、心身ともに休息がとれて、私はそのたびに心を回復させることができた。

同居している兄の存在も、大きな心の支えだった。
兄が仕事から帰ってきて顔を見せてくれるだけで、ほっとすることが何度もあり、そのたびに私は救われた。
父が亡くなる直前まで、兄の運転で3人一緒にドライブや食事に出かけた。
ここでも私は父と度々口論したが、兄がいてくれたおかげで大喧嘩にはならずに済んだ。全体として父は楽しそうだった。

父は夜、1階の部屋で一人きりで寝るのを寂しがっていたが、私は努めて2階の自室で寝るようにした。
私はできるだけ買い物や散歩に出かけるようにして、とにかく毎日歩いた。
自室で一人きりで好きなテレビ番組や動画、配信などを観て、よく泣き、よく笑い、積極的に感情を吐き出すようにした。

結果として、父は亡くなる一週間前まで自宅で過ごし、父の最期の一息を私は静かに病室で見届けた。
最後まで私は父に笑顔で優しく接することはできなかったが、父は自殺せず、私も父を殺さずにすんだ。


自殺念慮にとらわれるのは、様々な理由があると思うが、共通するのは心身の不調だと私は思う。
心身の不調を訴えている者を、励ましたり、同情したり、アドバイスしたりするなど、積極的な働きかけをすることは、逆効果である場合もある。
だからといって、苦しんでいる人に対して、黙ってたった一人で寄り添い続けると、一緒にいる人間の方が耐えきれなくなり参ってしまう。

私は父と喧嘩しながらも、心の距離のバランスを保つことで、自分自身の健康を損なわずに済んだ。

私は、適切な他者に頼るという方法と、適度にサボるという、自分を守る術を持っていた。
自分の健康を維持することで、事故なく最期まで父を看取ることができた。

大切に思う家族や身近な人が死にたいほど苦しんでいると、一緒にいる者も本人と同じくらいに苦しくなる。

一人の人間の苦しみを取り除くには、一人では足りない。
一人の苦しむ人間を救うには、たくさんの人の手が必要となる。

あなた一人で救おうとしても、一人の人間を救うことは到底できるものではない。

まずは、あなた自身が救われるために、たくさんの人の手を借りて欲しい。

一人の人間が生まれ、育ち、寿命を全うするには、無数の人の手が必要なのだから。


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